生きる意味とは? 思い込みではなく、本当に幸せになる方法。

生きる意味を見つけました。

生きる意味
このサイトでは、これまで(といっても、ごく短い期間でしたが)心理学や哲学、宗教について考察し、そこから生きる意味を探ってきました。

私自身はずっと、生きる意味を求めて、数百冊の書籍を読破し、セミナー、セラピー、様々な宗教の会合に出席しておりました。

どうしたら本当に幸せになれるのか。どうしたら死への恐れがなくなるか。どうしたら生きるのが楽になるのか。その答えを求めて、訪ね歩いていたのです。

しばらくして、ひととおり哲学や心理学を学び終えた私は、知識の限界を感じ、今度は、スピリチュアルな世界にも足を踏み入れました。見える世界だけではなく、見えない世界についても、体験を通して学ぼうと思ったのです。

そして、放浪の果てに、私はついに最高のご縁に恵まれ、本当の真理、生きる意味に出会うことができました。

その出会いをきっかけに、もはや、真理以外の知識(心理学や哲学、宗教的な理念)は、今の私にはまったく必要が無いことを悟りました。むしろ、それらは正しく見えても、執着、依存のエネルギーであることに気づいてしまったのです。

このサイトに書いてきたことは、もちろん真理のかけらです。
苦労の果てにようやく見出した、私の生きた証そのものです。
しかし、それさえも全て捨てて、いずれは卒業していかなければならないのです。

今回の最後の記事で、なぜそのような結論にいたったのかお伝えしたいのと、一人でも多くの方が真理につながり、最高の幸福に出会っていただければ、大変嬉しく思います。

心理学・哲学・宗教が唱える「生きる意味」では、幸福になれない理由

心理学、哲学、現代の宗教の教えが、私にとって捨てていくべきものに思えた理由は以下の三点です。

理由1.知識は得られても、実際に自分が幸せになれていない

これがもっとも大きな理由です。

心理学や哲学を学び始めた当初は、私は水を得た魚のように胸がときめき、希望にみなぎりました。
プラトンの本に触れたときは、これで自分は必ず幸せに生きられるはずだと確信しました。

ですが、いざその興奮が過ぎ去ってみると、心は前と変わらず、凡人で、いつもの曇り空のような自分でした。
もちろん、以前よりは、人に「よく考えて生きているね」と言われるほどに、成長していました。

しかし、所詮は「絵に描いたモチ」です。
一時は、自分が幸せになれていなくても、あたかも悟ったかのように振る舞うことで満足しましたが、それは決して、永続的な幸せではなかったのです。

このサイトを見ていらっしゃる方も、様々な知識・教養を持っていると思います。

しかし、自問してみてください。あなたは今本当に幸せでしょうか?あなたがいま大事に抱えている信念や教えといったものは、あなたを幸せにしていますか?

少しでも疑問がわいたら、今の状態に安住せずに、もう少し真理を追求する気持ちを持ち直してほしいと思います。

本当に大事なものは、今大事に抱えているものを手放さなければ、手に入らないかもしれません。

理由2.無理していい人のフリをしても、自分の本質は絶対に変わらない

様々な宗教や、自己啓発は、人がどう振る舞うべきかを教えてくれます。
そして、多少無理してでも、その通り行動することで、一時的に周囲の人の好感を引き寄せたり、仕事で高いパフォーマンスを発揮できるようになることもあるようです。

ですが、そういった人に限って、

・価値観を押し付けてきて、なんとなく偽善くさく感じる
・一時は盛り上がるが、躁鬱のような状態で落差が激しい
・裏で多額の借金を抱えていたり、何かしらの闇を感じる

などのケースを、私自身は経験しています(偏見が含まれます)。

もしその人の信じている教えが、本当に真理であったら、このような疑いは一切感じさせないはずです。

私たちが求めているのは、80%が真理、20%が偽りというものではなく、真理が100%の完全な教えです。少しでも陰りが見えてしまうものは、少なくとも私にとっては、絶対的な生きる意味になりえませんでした。

結局のところ、いくらマインド(思考)で自分自身に嘘をついて、キラキラした仮面をつけても、幸せになれないのです。

なぜなら、それは本質の自分が変わったわけではなく、無理をして気持ちを抑圧して、ひねくれてしまった、「嘘の自分」だからです。

理由3.素晴らしい教えも、執着と依存の道具に成り果ててしまった

宗教は、どこも素晴らしい教えを説いています。

それらは、偉人たちが真理を求めて求めてたどり着いた、いのちの結晶です。

ソクラテスや、イエス・キリスト、ブッダも、自らの実践と経験を通じて、私たちに生きる指針を与えてくれました。それらは、間違いなく真理です。

問題は、真理を説いた偉大な先人たちは、もう亡くなっているということです。言葉や文字は残っていても、そこに魂を吹き込める存在がいないのです。

例えば、聖書のことば一つとっても、宗派によって解釈は違っており、極端な捉え方をして、戦争(エゴ)の口実に利用されることもあります。

また、「私は聖書に従い、清く正しい生活をしている」という人も、見えないところで鬱憤を晴らすすべを得ていたり、知らぬ内に様々なトラブルに見舞われ、幸せそうに見えないことがあります。

もし、キリストが現代に生きていたら、もしくは、キリストのクオリティを一人でも受け継いでいる人がいたら、果たしてこんなことが起きるでしょうか。

きっとキリストなら、一言も発さなかったとしても、存在によって、すべてに愛と平和をもたらしていたのではないでしょうか。

そのような偉大なマスターを失い、魂を吹き込む存在がいなくなってしまった教典は、枝から離れた葉のようなものです。

葉はやがて地に落ち、枯れていきます。枯れた葉はふつう、落ちて大地に還っていきます。それが自然の摂理です。

しかし、私たちは、枯れ葉に対して、「救われたい」という気持ちから、自分のエゴや執着をたくさん押し付けてしまいました。

重い泥に絡め取られて、葉は枯れることもできず、ついには腐ってしまうのです。

その結果、オウム真理教など、聖なるものをエゴに利用してしまうという、最大の禁忌を犯す団体まで生み出してしまいました。
社会全体で生み出してきた強いエゴのエネルギーが、ついに表面化してしまったのです。

現代の多くの宗教も、ここまで極端ではないにせよ、真理の教えを利用して、組織のパワーや政治力を競い合っているように見えて仕方がありません。

・・・・・
私はさまよい疲れたあげく、このようなことをだんだんと実感させられ、絶望しました。

ですが、今振り返ると、絶望し、全てを失うような経験があって、私は一回死に、そして新しい自分に生まれ変われたのではないかと思います。

生きる意味の発見

その後、私が様々なご縁によって最終的に導かれたのは、ヨグマタ・相川圭子さんでした(以降、ヨグマタジと呼ばせていただきます)。

ヨグマタジは、サイエンス・オブ・エンライトメントという、瞑想・ヨガの道場を開いていらっしゃる方で、サマディ(悟りの最終段階)に到達し、インドでも最高の瞑想指導者として認められた大聖者です。

・・・いきなりこう言うと、血迷って変な新興宗教にのめり込んだようにも見えるかもしれません。実際に、そう思った友人は残念ながら離れていきました。

かくいう私自身も、最初は戸惑いがありました。これは、結局依存しているのではないか、教祖に大金を搾取される、かわいそうな人たちの一員になるのではないか。

そのような色々な疑いを経て現在にいたりますが、今では全ての疑いが晴れ、確信をもって、断言できます。

「ヨグマタジは真理そのものであり、愛そのものです。人の見えない内側をすべてを知り尽くした、偉大なる、尊敬すべき大宇宙のマスターです。」

かのプラトンは、「善そのもの」とは何か、ということを一生をかけて追求しました。しかし今、目の前にそれを体現して、太陽のように恩恵を降り注いでくださる方がいらっしゃるのです。

ヨグマタジの元では、心の曇りを取り除き、悟りに向かっていくための様々な瞑想プログラムが用意されています。また、私たちが早くに幸せになれるように、ディクシャと呼ばれる、直々に高次元のエネルギーをいただける修行もあります。

プログラムでは、知識は全く必要ありません。

むしろ、知識や、これまでかき集めてきたものを全て捨てて、卒業していく教えです。大事な信念や価値観ほど、ふつう捨てるのに抵抗が生じますが、ヨグマタジの元で修行を進めると、自然と「外れて」いってしまうのです。

これまでずっと荷物を背負って生きてきた人は、それがガバッと外れると、「ああ、いままで自分はこんな重いものを背負っていたのか」と気づくと思います。

それだけ、プログラムによって、軽やかに、しかも楽に人生が変わっていってしまうのです。

このように実際に自分が変容して純粋になり、心が軽くなり、愛が溢れてくるようになるプログラムは、他には間違いなく存在しません。実際に体感すると、それが真実だと納得できると思います。

私はヨグマタジに出会い、本当に人生が楽になりました。周りの人たちのために、愛の祈りを捧げることが幸せです。愛することができて幸せです。神さまがいつでも愛してくださって幸せです。

真理はとてもシンプルでした。

しかし、それではエゴが納得できなかったために、じめじめと思考を巡らせていました。それが、全ての間違いだったのです。思考(マインド)が人を分析して裁き、細かな欠点ばかりを責める原因になっていたのです。

それよりも、すべてを愛と感謝で迎えること。目の前の人の幸せを祈り、善行を捧げること。神を信頼して、お任せすること。こちらの方が、どれだけ有意義な生き方でしょうか。

それは、依存でも、盲目的な崇拝でもありません。ただ、真理を生きているだけなのです。

しっかり修行を続けると、自分が幸せになっていきます。

幸せになると、よりいっそうヨグマタジの示してくれた道を信頼できます。

信頼すると、さらに神からエネルギーを得て、進化することができます。

進化すると、周りの人も自然に引き上がって、瞑想者が増えます。

瞑想者が増えると、世界が愛と平和があふれていきます。

これが、私たちに示された唯一の、幸福な世界の作り方です。

ヨグマタジからありがたい恩恵をいただいた代わりに、弟子たちは、幸福な世界を実現させる義務があります。

この計画のために、自分の命を捧げることは、とても幸せなことです。そのために、今の時代に生命をいただきました。

論理や理屈を超えたところに、まだ私たちが預かり知れない、見えない世界があります。そこから私たちは生まれ、いずれ還っていきます。

その世界に到達した偉人たちは、私たちのために、最初に道を開いてくれました。そして、現代では、ヨグマタジがその道をさらに進化させ、神の最高傑作ともいえる、瞑想のプログラムを創造されたのです。

このサイトを訪れた、私とご縁のある人たちには、真の幸福に向かう特急券を、できるだけ早く掴んでいただきたいと思います。

もしヨグマタジについて、少しでも縁を感じていただけたら、ぜひご本を読んでみてください。
現在20冊以上が出版されています。ご本を手に取れば、あなたにとって必要な愛のメッセージが、必ず含まれていると思います。

さらに、実際に話を聞いてみたいと思ったら、一般の方に向けた講演会に出てみてください。
カルチャーセンターなどで、定期的に開催しています。そこで、直観が優れていらっしゃる方は必ず確信すると思います。ああ、これが本当に自分の魂が求めていたものだと、紛れもない、生きる意味だと。

その後は、あなた次第ですが、真理を志す人は、心を決めて入門してください。
色々と、勇気がいる要素もあります。それは、世間の目であったり、金銭的な問題であるかもしれません。

不安感や疑いが大なり小なり浮かんでくるのは、決しておかしいことではありません。
最後の最後に、信頼を持って一歩踏み出すことができれば、後はヨグマタジがすべて導いてくれます。

ぜひドン!と、真理の世界へ足を踏み入れてください。

ヨグマタ相川圭子公式サイト(サイエンス・オブ・エンライトメント)はこちら

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
このサイトを通して言いたかったすべてのことは、この記事に集約されています。

一人でも多くの人がヨグマタジの恩恵に結ばれ、魂に結ばれ、大宇宙に結ばれて、本当の幸せを手にできるよう祈っています。

あなたに、神のお導きがありますように。

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