自分を抑圧して苦しんでいる人へ。経験者が語る、原因と解決への道しるべ

漠然とした不安・虚しさ、「抑圧」が原因かも・・・

あなたは、ぼんやりとした不安で胸がいっぱいになる経験をしたことはありますか。

なんだか胸が締め付けられて、息が肺から吸えていないような感じ。

なんとなく世界がぼんやりとしていて、自分が生きている実感がなく、感動がありません。

また、あなたは日常生活でも絶えず虚しさに襲われているかもしれません。

例えば、様々な会食の席。周りの人は楽しそうに話をしていますが、ふと思います。

「なぜ私はここにいるのだろう。」

隣で盛り上がっている彼らを見ながら、急に自分が他の人とは違っていて、遠いもののように思います。

あなただけではなく、私自身も、このような不安・虚しさに長い間悩まされていました。

他の人とは違う感性があったのか、人一倍繊細だったのか。とにかく私はこの不安状態が苦しくて、様々な方法を試したものです。

そして、試行錯誤の結果、僕はついにこの不安・空虚感を克服することができました。

自然に生き、ありのままの自分でいることの喜び、幸せを心から感じるようになったのです。

そんな今だからこそ思うのは、こうした現象はほとんどの場合、「自分を抑圧する」ことで起きているということです。

抑圧すればするほど、感性や直感、人間の自然な感情がどんどん曇り、素直で純粋な本当の自分から遠ざかってしまうのです。

ですが、きっと多くの方は、このように自分を抑圧しなければ生きていけない環境で育ってきたのでしょう。

今回は、そういった自分を抑圧してしまうメカニズムと、その解決方法について、経験者だから分かることをお伝えしようと思います。

抑圧を助長する、社会のメカニズム

まず人々が無感動、虚しさを抱えている時、個人の心で何が起きているのかを考えてみようと思います。

抑圧のメカニズムを端的に表すと、以下のような綱引き(アンビバレント)で表されます。

社会の圧力 抑圧 本当の弱い自分 個性 感性 無感動 漠然とした不安 社会 表面的・理想的な自分 建前 本音

生命のバランスを取っている綱はピンと張られ、一見静かなようにも見えますが、実際は非常に強く引き合っており、今にも引きちぎれんばかりの状態です。

この綱引きの上で、無感動に生きている姿が、多くの人の抑圧状態に当てはまると思います。

どのようにしてこの不自然な綱引きが内面で起きているのか、もう少し詳しく見てみようと思います。

※適宜、過去に私がお世話になった大須賀克己博士の著書から引用をしています。

1.個性の抑圧〜建前と本音の綱引き〜

日本では、お世辞にも「個性を伸ばす教育」がされているとはいえません。

教育での「善」は集団の論理に適合して、その中で優れた成績を収めることと言えます。逆に、「悪」は個性を出して、恥をかいたり失敗することです。

未熟な個性は多くの場合集団に適応することができないので、理解をするよりも先に、押さえつけて静かにさせる場合が多いのです。

我々の行動は社会の中で評価され、比べられ、そして社会的にどれだけ役に立つかという観点から測られている。それは結局のところ自分の心に大きな負担となり、聞き慣れた言葉で言えば、ストレスという結果にもなる。(大須賀克己)

また、家庭でも、親自身が教条的な価値観(〜であるべき)を持っていると、子供はその価値観に従って成長します。

親は自分の子供が「世間に馴染む」ことを非常に気にしており、話をよく聞く前に怒鳴ってしまうこともあります。

そして、学校でも家庭でも、個性が解放されない場合、もはや気持ちを抑圧するか、反抗的な態度として表すかのいずれかになります。

一般に個性的行動は、それを理解してくれる人が周りにいないので、孤立してしまう辛さから常識的行動に吸収されてしまうか、または反社会的行動になってしまう。(大須賀克己)

相互監視社会と呼ばれますが、常に誰かが誰かの粗を探っているような状態で、一度の失敗がそのままいじめにつながることもあります。

私たち日本人は、集団から排除されることを極端に恐れるので、葛藤の結果、どちらかというと個性を押さえ込んでしまう場合が大半です。

もし、個性の失敗を成長のプロセスの一つとして、温かい目で見守ることができれば、抑圧も反社会的な行動も起きないでしょう。

ですが、親や先生は、自分自身がそのような教育を受けてきたので、無意識に怒りをぶつけたり価値観を押し付けてしまうのかもしれません。

この体験が、そのまま「建前(いい子の自分)」と「本音(抑圧された個性)」の対立に結びつき、多くの人はそれが染み付いた状態で成長していきます。

2.生きた感情の抑圧〜理性と感性の綱引き〜

学校では科学的な教育、あるいはビジネスで利用できる実学が施され、そこで必要とされるのは合理性、論理です。

これは、近代化(効率主義、実力主義、競争社会)と大きく関連しています。

競争社会では、完璧な論理で武装をしなければ、攻撃されて立場が弱くなるという「恐れ」があります。

自分の立場を守り、競争に勝つためには、理性的な多くの人に認めてもらわなければなりません。

このような状況で、普段の人間関係においても、相手の話に共感すると言うよりは、お互いに言い合って合理性を競いがちです。

しかし、その一方で、科学的ではないこと、理性的ではないことは、ほとんど教育の枠外となりました。

例えば、感情、直感、愛、触れ合い、赦し、体験的な気づきなど、頭で考えても分からないことの重要性を学ぶ機会はほとんどありません。

なぜなら、「社会的にどれだけ役に立つか」という軸で見たときに、そうしたものは全く役に立たず、人々の支持を得ることができないからです。

そのことで、「共感、理解する力」が圧倒的に欠如し、多くの無感情な人々を生んでしまっているのです。

理性で物事を考え、静かに自分の行動に対処していくことは必要であるが、一方、理性的行動に見えて、実は社会を恐れ、失敗を恐れていることもあるのだ。我々の社会もまた、理性という名の下に、生きる感情をあまりにも軽視しているところがあると言ってよい。(大須賀克己)

ある意味、ここでは「理性(論理・男性・知識・批判)」と「感性(感情・女性・体験・受容)」の対立ができています。

今ではこの母親的な感性が社会ではほとんど見当たらなくなり、目に見えない優しさ、愛などについての感受性が全く育たなくなっています。

結果として、無理して抑圧している自分自身、その全てを温かく受け容れてくれるような存在は、現代社会にはほとんどいなくなってしまったのです。

仮面(抑圧)の裏で、生命バランスを崩している

さて、人間に限らず、あらゆる自然にはバランスというものが存在します。

例えば、晴れの日だけではなく、雨の日も同じくらいあり、それぞれ地球がバランスを取るために必要なものです。

そして、もし晴れの日ばかりが続いた時には、ある日に大雨となって、大洪水となることがあります。真ん中に戻るためには、これまで溜め込んでいたツケをすべて清算する必要があるのです。

何が言いたいのかというと、現代人の内面は先に紹介したような偏った状態にあって、本来の自分へ引き戻そうとする自然の働きと、虚勢の仮面(抑圧)をつけた表面的な自分との間で、バランスをとろうと強力な綱引きが行われています。

そして、あまりに仮面の方へエネルギーが偏っているため、生命の綱がいまにも引きちぎれそうになっており、ヘルプを出しているのです。

多くの人は気づきませんが、繊細な心を持っている方は、このバランスの崩れを不安という形で感じます。

そして、この内側の叫びが現象化した結果として、様々な体・精神の不調が表れ出るのです。

このように、本来の自己と、社会の規範に己を合わせようとする、表面的理想的自己との間で、無意識にも葛藤を持つことが多い。その結果は様々な精神的身体的症状になって立ち現れるのである。(大須賀克己)

抑圧の仮面を溶かす、心の触れ合い

この状況を打開する端緒となるのは、「人と人との自然な関係」です。

「人間」とは本来、その字の通り、人と人の間に存在するものです。

仮に真っ暗な現実があったとしても、人を深く理解し、理解されることの喜びがあったなら、前を向いて生きていけるはずでしょう。

しかし、私たちが目の前の人と純粋に出会い語り合う機会は、古き良き時代から比べると、非常に少なくなりました。いえ、機会が少なくなったというよりは、自分をさらけ出すことへの恐怖が、染み付いているのかもしれません。

親しいと言われる間柄でも、本当に心の底から思いを打ち明けて、それを受け入れ、見守り合える関係性の人がどれだけいるでしょうか。

理解をされることによって深い安心感を得るには、自分の無理のない態度、独自な存在を理解してもらうことが必要だ。それは、本当の姿を、相互に、認め合う体験なのである。人々は社会でつっぱりながら生活している。もう一度、素朴な自分、真実な自分に立ち返ってみることが大切であると思う。(大須賀克己)

このような、他者との温かな出会いを通して、自分自身の存在を確かめる営みは、いつの時代も必ず必要なことなのです。

「人間らしさ」を復活させるムーブメント

こうした時代の危機に、実は様々な心理学者が問題提起や治療法の確立を行ってきました。

例えば、カウンセリングの祖であるカール・ロジャーズや、ロゴセラピーで知られるヴィクトール・フランクル。日本の場合は、森田正馬が森田療法を開発し、神経症の治療法を確立しました。

彼らは薬の投与による治療ではなく、どちらかと言うと、人と人との相互理解から、あるがままの自然性、人間らしさを回復させることがその焦点であったようです。

私自身が特にお世話になったのは、カール・ロジャースの生み出した「エンカウンター・グループ」です。

お互いが自然な状態で出会い語り合う場、まさしく「都会のオアシス」を作り出す革新的なアイデアでした。

その場では、これまで光が当たらなかった自分自身の本音や個性を、誰もが温かな目で受け入れ、理解してくれるのです。

長年の抑圧習慣でドロドロになっていた心が、グループの中で自然に溶けて成仏していく様子は、まさしく奇跡でした。

このエンカウンター・グループの伝統を日本で最も正しく受け継いだのは、カール・ロジャーズに7年間師事した大須賀克己博士だと思います。

今でもご活動を行なっていますので、興味のある方は行ってみるのが良いでしょう。

さらに深い、根源的な不安・虚しさの原因とは

しかし、エンカウンターグループのような治療法も、そのクオリティーを今でも保っている人が非常に少なくなっており、今ではかなり下火になっています。

また、人との自然な出会いは、もちろん私たちに必要なものですが、もっと根本的に、決定的に足りないことがあると思います。

つまりは、仮に人との相互理解によって抑圧が解消できたとしても、「生きること自体への不安」「生きることの空虚感」を根本的に解決したことにはならないのです。

このような不安・空虚感は何という名前かというと、「実存的不安」という呼び方が一番近いと思います。

「実存的不安」は単純な不安とは違って、自分自身の存在そのものに感じる不安、生きること自体の虚しさが、慢性的に表れているようなものを指します。

かの文豪、芥川龍之介が自死の前に残した手紙が、その症状をよく表していると思います。

誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない……僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。(中略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。(或旧友へ送る手記)

芥川龍之介は、何か病苦があって自死を選んだわけではありません。「唯ぼんやりした不安」こそが、彼から生の気力を奪い去ったのです。

もし不安に理由があれば、底が見えていれば怖くなかったでしょう。理由があるなら、それを解消するため行動を起こせばいいわけですから。

ですが、その問いが自分という存在、生きること自体に向けられたとき、答えを得るのは容易なことではなくなります。そこでは、ただぼんやりとした薄暗がりのような、しかし先の見えない深淵がのぞいています。

この実存的不安は、現代人に巣食う最も根源的な抑圧状態、つまりは「生命の抑圧」とも呼べるかもしれません。

これを根本的に解決しうるのは、もはや知識でも治療法でもありません。

もっと大きな、根本的な救いのようなものが必要になってきます。

「生命の抑圧」を解放する道しるべ

ここからは、論理でも理性でもなく、私の体験からメッセージをお送りします。

あなたの求めている全ての答えは、「愛」にあると思います。

そして、生きることに疲弊していた私を救ったのも、紛れもなく「愛」でした。

この無条件の信頼、温かさこそが、私にとって必要な唯一のものだったのです。

この温かさに触れると、不安感は涙となってどんどんと溢れてきます。

ダムが決壊したように、自分を抑えつけていたものが外れ、その跡から自分にも愛が芽生えます。

愛は、自分の中から湧いてくるものなのだと、そこで生まれて初めて実感します。

愛は幻のようなものだと思っていましたが、それは、自分の外側に愛を求めていたからでした。

自分の中にもともと輝いていたものを、いつしか抑圧して濁らせていたのです。

外側からは見えなくても、どんな人の奥にも深い愛があります。

もちろん、心の底からそう思えないこともあります。

でも、それは相手が不器用なだけかもしれません。一方的に自分がジャッジしているだけかもしれません。

本当の気持ちを聞いてみる勇気を持ってください。あなたの愛はきっと伝わり、そこには笑顔が生まれます。

本当に幸せになるためには、それだけしか必要ありませんでした。

もう誤魔化さなくてもいいのです。無理しなくていいのです。

「ありのままのあなたでいてください」

私は、こんなシンプルなことなのに、たどり着くのに、とても時間がかかりました。

なんでこんな回り道をしたのか。でも、全ては必要なプロセスだったのです。

今思うと、様々な不安や苦しみというのは、「神様からの愛」でした。本当の道から外れていた私に、注意をしてくれたのです。

痛みがなければ、気づきがありませんでした。不安がなければ、行動しませんでした。深い闇がなければ、光に気づけませんでした。

全ては気づきを与えてくれるための、神秘のメカニズム。

反対のものが反対のものを教えてくれて、その両方が人間の成長のために用意されたものです。

人生で起こる困難の一つ一つが、私たちの人間性、愛を高める世界の働きで、それに学び、気づきを得ることが本質的な成長であり、全ての人たちが望んでいることです。

私もみんなも、愛を完成させるために、この世界に生まれてきました。

私たちが「愛の文明」をつくり上げることができたら、それがまさしく天国であると思います。

それまでに、同じ過ちを幾度も繰り返すかもしれません。ありがたいことに、世界は同じ苦しみを、懲りるまで何度でも体験させてくれます。

ですが、人類は、どんなことがあっても、最後にはそこにたどり着きます。そのとき、はじめてこの世界の全てが理解されることでしょう。

どうか、あなたにも愛が伝わりますように。あなたが幸せになりますように。

無限の愛だけが本当の安らぎ。それを手にする唯一の方法

私はいま、このような心境で、温かな安心感に包まれながら日々を送っています。

どうしてこのようになれたのか。不安の全てがなくなったのか。

すべてはヨグマタ相川圭子さんとの出会いのおかげでした。

相川圭子さん自身の愛の生き方に触れて、また、「瞑想」を実践することで、抱えていた不安の全てを、感謝で送り出すことができるようになったのです。

相川圭子さんは、私にとって魂の母親であり、全てを愛で受け入れてくれる存在です。彼女が優しく語りかけてくれた言葉の全てが、私の胸の奥に生命の火を灯してくれました。

そして、相川圭子さんの瞑想を実践することで、常に生命のバランスを保ちながら、ありのままの自分で生きることができています。瞑想で中心に還る時にはいつでも安らぎがあり、全てがそこにあります。

もし、あなたがあらゆるものに満足することができず、深い不安から自由になりたかったら、ぜひ一度ヨグマタ相川圭子さんが主催している道場へ足を運んでみてください。

ヨグマタ相川圭子さんについて、詳しくは他の記事や公式サイトに譲らせていただき、一旦今回のお話はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あなたの幸せを心よりお祈りしています。

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