一人が好きだけど、寂しい。そんな人が「瞑想」を今すぐ始めるべき理由

一人が好きだけど、寂しい。そんな人が「瞑想」を今すぐ始めるべき理由

「一人が好き」という人が日本では増えているといいます。

かくいう私も、気づけばいつのまにか一人好きの人間になっていて、誰にも縛られずにいる自由を密かに謳歌しています。

もちろん仕事をしていますので、平日は人間関係を持っていますが、基本的には会社と家の往復生活です。

仕事以外で出会う人は少なく、友人は一人二人程度しか思い浮かびませんし、かつ実際に会おうと思うのは二、三ヶ月に一度程度です。

また、特に何か打ち込んでいるものや趣味があるというわけでもありません。せいぜい漫画と動画鑑賞くらいです。

こんな生活をしていて寂しくないの?

と思われがちですが、実はまったくそうではありません。一人でいても心は孤独ではありませんし、むしろ不思議と安心感に包まれています。

暇だと感じることはあっても、それはそれでのびのびとしていますし、時間を自由に過ごしているような開放感を感じています。

ですが、私はもともとそういう性格だったのではなく、むしろ、かつてはとても寂しがり屋でした。

寂しさを紛らわせるために恋人を作ってみたり、集まりに頑張って参加したりなどもしましたが、頑張れば頑張るほど、えもいわれぬ虚しさを感じていたのです。

そんな私が、今では、一人でいながらとても満ち足りた気持ちで生きられているのは、当時想像もできなかったことです。

今回の記事では、私のように「一人が好きなのに寂しい」と苦しんでいる人がどう生きていったらいいのかのヒントを、経験者という立場からご紹介できればと思います。

一人が好きなのに寂しがり屋な人の特徴

まず、突然ですが、あなたが以下に当てはまるかをぜひチェックしてみてください。

当てはまる点が多いほど、あなたはこの後紹介する、ある才能があるかもしれません。

  1. 基本的に周りの人が盛り上がっている話題に興味がない
  2. 話しかけられても、社交辞令しか出てこないので、会話がほとんど続かない
  3. 3人で並んで歩くときに、後ろで一人のフォーメーションになりがち
  4. 趣味や打ち込めるものがない。淡々と日々を過ごしている
  5. 日々取り込む情報量が少ないため、話すことがない
  6. しかし、話に混ざるために無理やり努力をすることに違和感を感じる
  7. 相手に全く興味がないわけではなく、どんな気持ちで生きているのか、悩んでることはあるのかなど、内面的な話には興味がある
  8. 心理学や哲学、宗教などが好き
  9. たまに本音の話ができる人と会って盛り上がるが、普段話をしていない分、話しすぎてしまい疲れる
  10. 結局相手が誰であっても、自動的に相手に合わせてしまうのか疲れる
  11. 友達と別れて一人になるとすごくホッとする
  12. 気を遣うのは面倒だが、本当は自分のことを深く理解してほしい
  13. だけど、そこまで信頼できる人がいない
  14. 探せばいい、とも思うが、寂しさや孤独感から何か行動を起こすのはもっと虚しい感じがするので、何もしない
  15. もしパートナーや親友と呼べる存在がいれば幸せなんだろうけど、依存関係になってしまいそう

あなたはいくつ当てはまったでしょうか?

これらの特徴に複数思いあたる節がある人は、一人は好きだけど寂しい、の最前線をいっているのかもしれませんね。

何を隠そう、私自身がこれに全て当てはまっていたのですから、気持ちはよく分かります。

僕もこのような性格で長年苦しんできて、何度も失敗や黒歴史を積み重ねてきました。ですが、だからこそ、この苦しみから解放されて、満ち足りた気持ちで生きるということも、実は可能だと断言できるのです。

一人が好きな寂しがり屋は「悟り」の才能があるかも?

さて、ここまで挙げてきた特徴ですが、裏返して捉えると、ある才能が見えてきます。

まず、この世のものの多くが無意味であると感じてしまうという点。それは、逆に言うと、外側の情報に振り回されるような生き方をしたくないということ。

そこがまず通常の人と大きな違っている点です。より本質的な何かを求めているのかもしれません。

そして良くも悪くも人間関係が希薄なので、一人の時間を多く持っていること。単に友達が少ないともいえますが、シンプルに無駄なく生きているという捉え方もできます。

そして、一人の時間が多いので、自分の内面に向き合う機会が多いということ。あなたは、心理学の知識を身につけたり、何か普遍的なものを探求するのが好きなのかもしれません。

そういった生き方について、少し見方を変えれば、まるで

俗世のつながりを絶って、真理を得ようとする修行者

のようにも見えなくもありません。結果的に。

そこまでではなくても、多くの人が色んなモノや情報をかき集めて幸せになろうとしている方向とは、まったく逆のベクトルを持っています。

もし、あなたがそのベクトルを持って、もっと自信を持つことができたら、あなたは一人でも凛として自由に生きている、素晴らしい悟りの人となるはずです。

まず、そのポテンシャルがあるということを、あなたに伝えたいと思います。

でも、やっぱり寂しくて耐えきれない

本当の理想をいえば、一人でいても満たされていて、不安もなく自由でいれると。また、もし必要があれば、人と交わって、その時はその時で皆と楽しく過ごせること。

そんな生き方をブレることなく自然に実践できれば一番だと思います。

ですが、困ったことに、そこに寂しさ孤独感が邪魔をして、そっちの方に振り切ることもできず、生き方が定まらない苦しい状態になっているのかもしれません。それらはどのようにして解消されるのでしょうか。

まず、寂しさとは何なのか、というところから理解を深めてみたいと思います。

人って、なんで寂しくなるの?

私は、ある程度の寂しさや孤独感は、人間にとって健全な感情であると思います。

人間が社会と隔絶して本当に一人で生きていくことは物質的にも精神的にも難しく、やはり互いに助け合うことが必要不可欠です。

その点、寂しさがあるからこそ、人同士のつながりが生まれて、助け合って生き残るようにできているのかもしれません。

ですから、人との関係性を全て絶ったり、寂しさを全否定するのも、ある意味極端なことといえます。

寂しさが自然な感情の範囲であるうちは、ある程度仕方のないものとして、付き合っていく必要もあるでしょう。

ですが、私たちの中には、もっと根強い、支配的な寂しさ、孤独感があります。それは、深い潜在意識に根をはっているような、人間存在そのものに向けられた寂しさです。

人間存在そのものが持つ、根源的な寂しさ

急にかなり暗い話になりますが、私たち人間は、本質的には一人で生まれ、一人で死ぬ存在であるといえます。いかに多くの友人や家族がいようが、人生の主人公は自分だけですし、死ぬ時は全てを捨てて、一人で死んでいかなければなりません。

その上、私たちはこの世界に自分が生まれてみたものの、どこに向かっていくべきなのか、なぜ生きているのかという目的も一切知らされていません。

ある哲学者は、人間は、行き先も目的も分からず、世界に一人投げ込まれたような存在と表現しました。

目的がないことが自由なのだとも言えるかもしれませんが、地図も目的地も分からない中、一人置き去りにされていると考えれば、それはもう心細く、寂しいと思います。

私は、こうした人間という存在そのものに対する寂しさが、現代人の心を深いところで支配しているのではないかと思っています。

根源的な寂しさを満たす、生きる意味とは

その寂しさを満たすのに、誰もが生きがいや、生きる意味といったものを探求していると思いますが、これも大変なことです。

世の中、何ごとにも目的や答えはあるようには見えますが、不思議なことに生きることについてだけは、誰も明確な答えを教えてくれません。

また、知識を自分に思い込ませて一時的に納得することはできても、そのことで心からの安心を手にすることもできないのです。

そもそも、私たちにとって、生きる意味の定義が重要なのではなく、肝心なのは、自分が実際に幸せになり、満たされることです。誰もが自分の生きる意味が永久に満たされるような体験、安心感そのものを、実は渇望しているはずです。

そうした安心感をもたらしてくれるものは、この世界にあるのでしょうか。

私も長年その答えを求めて、様々な心理学、哲学、宗教を研究してきました。

生きる意味について私がひたすらに模索した話は以下の記事に書いています。

さて、この記事の結論から言うと、私の場合は、さまよい歩いた末、

最終的に瞑想との出会いによって、この終わりのない苦しみが、きれいに解決してしまったのです。

瞑想で、寂しさを手放して自由な人になる!

さて、急に瞑想というワードが出てきましたが、まさか瞑想が寂しさを解消する方法になるとは、思ってもみなかったかもしれませんね。

瞑想とは、イメージ通り、静かにじっと座って、しばらく何もしない、何も考えないというとてもシンプルな行為です。

悟りの才能があるあなたには、瞑想はまさしくぴったりの方法だと私は思います。少なくとも精神的な世界の話に関心があって、素直になれる人に向いているものだからです。

瞑想のすごいところは、知識を身につけることとは違い、実際に自分が体験できるということです。深い静寂を体験することで、理屈抜きに瞑想の素晴らしさが実感できると思います。

ですが、実は、ただ座って目を閉じているだけでは、ほとんどの場合、徒労に終わってしまうことになります。というのは、実践してすぐに明鏡止水になれるわけではありませんし、効果を実感するのには通常とても時間がかかるからです。

また、瞑想を行う際には正しい指導のもと行わないと、「魔境」という危険な状態に陥ってしまうこともあります。

安全な瞑想とそうでないものの違いについては以下の記事にまとめてありますので、こちらもぜひ。

瞑想は怖い?危険を回避して安全に行うための5つのポイント

私が唯一みなさんにも勧めている瞑想は、

ヨグマタ相川圭子先生の瞑想です。

相川圭子先生の指導する瞑想は、子供からお年寄りまでどんな人でも実践できますし、一回一回、自分の成長が実感できるほどの、本当に奇跡としかいえない効果があります。

瞑想の体験はとても個人的な感覚になるので説明が難しいのですが、ありのまま体験したことを伝えようと思います。

※瞑想の体験には個人差があります。以下は私個人の体験談です。

ヨグマタ相川圭子さんの瞑想で、どんな体験ができる?

まず、相川圭子さんの指導するように瞑想を行うと、すぐに無心になれるだけではなく、自分自身の中に深く入っていく体験ができます。

そして、自分の内側に深く入っていくと、優しい源泉のようなものがあり、そこから深い愛がどんどんと湧き上がってくるのです。

さらに、自分だけではなく、私の全てが常に大きな存在からも愛されていて、そのままでいて自分は幸せなんだということを深く実感します。

その深い安心感とともに、私が長年ずっと抱えていた寂しさ・孤独感も、スッと自然に無くなっていたことに気づきます。

私は生まれてからずっとこの体験を求めていて、この無限の愛をさらに知っていくために生まれてきたのだと、体験をもって納得します。

私にとって、そこの源泉に到達することが人生においてもっとも重要で素晴らしいことであり、それが本当の生きる意味だと今では確信しています。

ヨグマタ相川圭子さんの瞑想は、このように、言葉では表現しきれない様々な体験が起きますので、一見信じられないかもしれません。

ですが、実際に私はこのような幸福な体験ができただけではなく、以下の記事にもあるように、社会生活においても素晴らしい恩恵を受けることができました。

一見「え、ホントに?」と思うような話ばかりなのですが、実際に自分が体験してしまうと、瞑想の素晴らしさを、理屈抜きに信じざるをえないのです。

少しでも瞑想に興味がわいたら、一歩踏み出してみよう!

ここまで、一人が好きなのに寂しいという方に向けて、瞑想という新しい生き方についてご紹介しました。

瞑想は、実際に体験するまで分からないことばかりなので、面食らったかもしれませんが、本当にあなたが想像もしなかったような世界が目の前に広がっているのです。

もしあなたが、この記事で少しでも瞑想をやってみようかな?と思いましたら、ぜひ一度ヨグマタ相川圭子さんに会われたり、説明会などにも参加してみてください。

この記事で伝えたかったものが、少しでも体感していただけたら私としてもとても嬉しく思います。

それでは、あなたが幸福な生き方を手に入れられるよう、心よりお祈りしています。

ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。

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