「エンカウンターグループ」でカールロジャースが本当に伝えたかったこと

カールロジャースは、人生の後半において、エンカウンターグループを通じた世界平和活動に没頭したと言われています。

その活動の軌跡は、「出会いへの道-あるエンカウンター・グループの記録-」というドキュメンタリー映画となって、アカデミー賞も受賞しました。

そのエンカウンターグループですが、カールロジャースの著書において理論的な説明はあるものの、実際にどのような体験ができるのかについて、実はほとんど情報がありません。

そこで、この記事では、私がカールロジャースの直弟子である大須賀克己先生から教えていただいたことと、実際に数年間エンカウンターグループを運営してみての体験をお伝えしようと思います。

※以下は私の中での実体験・解釈であり、理論的な説明は著書に委ねます。

エンカウンターグループとは

まず、エンカウンターグループについて、私は以下のように捉えています。

表面的な自分、自己防衛のエゴを、この世界を信頼して手放し、「本当の自分」に出会っていく過程を、その場の参加者と一緒になって模索する、答えのない営み

間違いなく、ピンとこないと思うので、それぞれ説明していきます。

表面的な自分、自己防衛のエゴ

あなたは、人前や飲み会の席などで「その場に合わせた自分」を作ってしまい、あとでドッと疲れたという経験はありませんか?

もちろん、その場の空気に合わせて行動することは、社会生活において重要ではあるのですが、頑張って表面だけ良い性格を作る「つま先立ち」のような状態がずっと続くと、精神的にも悪い影響が出てきます。

その背景には、「建前と本音」と言われる日本の文化が関係しており、現代ではますます本音の自分を発信しずらい状況になっています。

以下の記事に、自分の気持ちを抑圧し過ぎてしまうことの影響・背景について詳しく記載しています。

自分を抑圧して苦しんでいる人へ。経験者が語る、解決への道しるべ

さて、なぜそのような表面的な仮面の自分を作ってしまうのかというと、そこに「本当の自分を出して、嫌われたくない」という自分を守ろうとする働きがあるからです。

もちろん、自分から嫌われたいと思う人はいないわけですが、カウンセラーが恐れから「自分を守るための壁」を作り出してしまった場合、それはすでに本当の出会い、つまりエンカウンターではなくなってしまうのです。

実際のエンカウンターグループでも、カウンセラーのあり方によって、参加者が「あるがまま」でいれるかどうかが大きく左右されます。

最初は緊張して外向きの態度になっている参加者も、カウンセラーが等身大・自然体でいる姿を認めると、途端に安心して仮面も自然と溶け、勝手に打ち解けてしまうのです。

ですが、このように最初から全く自己防衛のないカウンセラーはいませんので、まずは「あ、今自分に防衛心が働いたな」というような気づきを得られるようになっていくことが大事です。

「本当の自分」に出会っていく

次は、その表面的な仮面の自分、自己防衛をどのように手放していくか、というお話になりますが、その前にそもそも「本当の自分」とはなんなのか、ということを考えなくてはなりません。

ここで本当の自分そのものを説明することは難しくても、「本当の自分ではない」ものは直感的に理解できると思っています。

例えば、以下は本当の自分と言えるでしょうか?

  • こうあるべき、という理想に縛られて苦しんでいる自分
  • 私はこういう人だから、と意見を受け入れようとしない自分
  • ◯◯が無かったら自分ではない、と思い込む自分

つまりは、自分とはこうだと決めつけてしまい、理想にそぐわない自分や場面を嫌ったり、あるいは自分を夢中にさせてくれる何かに執着している状態です。

自分らしく、ありのままでいたいと思って色々と勉強した結果、この例のように、いつの間にか「理想の自分像」ができてしまい、かえって現実とのギャップに苦しんでしまうこともよくあります。

大事なのは、自分がそうした考え、思いこみに執われていること自体に気づき、それも自分なんだと温かく受け入れた上で、ゆっくり手放していくことだと思います。

例えがよいかはわかりませんが、「断捨離」という発想に近いと思います。

自分が強く執着していた趣味やモノを自分の意思で手放したとき、何かすっきりとしたような、自分がひとつ大人になったような感覚はしませんでしたか?

ある意味、「思い込みの断捨離」ではないですが、本音の対話を通じて自分を縛っていた思い込みに気づき、ひとつひとつ手放していけることもエンカウンターグループの恩恵の一つだと思います。

私はその思い込みを手放した先に、体験的に感じられるものが、「本当の自分」であると思っています。

この世界を信頼する

さて、話を元に戻します。

エンカウンターグループでは、このようないろいろな思い込みを順次手放すことができますが、そこで大事になってくるのが「信頼」です。

例えば、誰がどう見ても「歪んだ思い込みだ」と思っても、その人にとっては、これまで自分を守り、支えてくれた大事な考えや信念であることがあります。

その場合に、理詰めで無理やり納得させようとすると、かえって「攻撃された」と思って、余計に頑固になってしまうこともあるでしょう。

そもそも、人が懸命に生きてきた実存に「歪んでいる」とラベルを貼って、矯正させようしてしまうこと自体が、ありのまま出会うという文脈において適切ではないのかもしれません。

歪んでいると思っても、それはその人の大事なキャラクターとして受け入れ、まずは相手の世界観をよく理解しようする純粋な関心が大事になります。

そうして対話を重ねるうちに、その場の参加者、カウンセラーを前に、すっかり安心して、「ここなら自分の本当に弱いところも話せる」と、真実の邂逅が始まっていくのです。

それを固い言葉で言うと「信頼」となると思いますが、その信頼があってはじめて、「ああ、自分はもう楽になってもいいんだ」と、自分から進んで思い込みを手放すことにつながるのです。

単純な話、その信頼をグループにおいてのみでなく、自分の家族、友人、仕事仲間、そしてこの世界すべてに広げていくことができれば、いつも心を開いて、もっと自由に生きることができるでしょう。

エンカウンターグループは、そのような「世界への信頼」を育む場としても機能すると思います。

不思議なことに、そうした世界への信頼をともなった人を、この世界はごく自然にスッと助けるようなのです。

その場の参加者と一緒になって模索する、答えのない営み

エンカウンターグループには、正解といったものがありません。

そもそも、私たち人間の生に一つの正解があるのか、といったら「ない」と思います。

もちろん、お金はある方がいいですし、友人や恋人もいた方が楽しいこともありますが、それが無かったとしても幸せになることもできます。

また、私たちがそれぞれ違う環境で、違う人生を歩んでいるので、ある人の行動が、その時その場では正解であったとしても、同じ方法を別の人が別の時にやったら大失敗するということもあります。

そのような前提のもと、エンカウンターグループでは目的やゴールといったものを設けず、また何かの指示を行ったりすることもありません。

もちろん、運営する側としては、「悩みを解決してほしい」という願いもあるのですが、グループ中はそのことについてほとんど意識せず、目の前の対話に夢中になります。

その対話の中で、自分を含む参加者が、思い思いのことを話し、それをゆっくり聞いているうちに、静かな相互作用が自然と自分の内側で起こってきます。

そして、エンカウンターグループが終わる頃には、不思議なことにその人の中で自然と問題に対する対処法や、思い込みへの気づき、トラウマが癒されるなどの重要な内面的進化が起こります。

このように、目的やゴールがないからこそ、参加者それぞれが自分にとって必要な学び・気づきを体験することができるのです。

エンカウンターグループについてまとめ

それでは最後に、もう一度、エンカウンターグループの考え方について、見直しましょう。

表面的な自分、自己防衛のエゴを、この世界を信頼して手放し、「本当の自分」に出会っていく過程を、その場の参加者と一緒になって模索する、答えのない営み

何となく意味が伝わってきましたでしょうか。

この考え方は、エンカウンターグループのみならず、人生においても何か活かせる点があると思います。あなたがもっと自由に、自分の人生を愛あるものにしていくためのヒントになれば幸いです。

それでは、お読みいただきありがとうございました。

※この記事は、個人的な経験をもとに本質を伝えようとするものです。理論的な根拠の元に、厳密性・信憑性を担保して作成されている訳ではないということ、また価値観も人それぞれであり、全ての人の合意を得られる内容でないことをご了承ください。

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