「受容・共感・自己一致」でカールロジャースが本当に伝えたかったこと

カウンセリングの祖といわれるカールロジャースは、日本における現代カウンセリングに重要な概念を導入したことで知られています。

例えば、受容・共感・自己一致と呼ばれる、基本的な概念を日本に導入したのは間違いなく博士の功績と言えるでしょう。

ですが、カールロジャース没後、数十年が経過し、それらが形骸化している、という話を聞いたことはありませんか?

私個人としても、様々なカウンセラーと接していて、カールロジャースの提唱したいくつかの重要な概念が、ズレた形で伝わっていると思ったことがありました。

この記事では、生前のカールロジャースと共に七年間活動を行った大須賀 克己先生から直接教わった内容と、実際に自分が数年間カウンセラーとして活動してきた経験から、本当の受容・共感・自己一致って何だろう?ということをお伝えしていきます。

まずは、理解を深めるために、カウンセラーがよく誤解してしまいがちな点について見ていきましょう。

※以下はあくまで一個人の意見に過ぎず、全ての人の合意を得られる内容ではないことをご了承ください。

誤解1.受容・共感はテクニックである

最も誤解されてしまいがちなのは、受容・共感を練習すれば身につくようなテクニックであると捉え、ひたすらロールプレイに勤しんでしまうことです。

受容、共感は、本来来談者さんに見せる態度や技術の話をしているのではなく、その人自身のあり方そのもの、内面性のことを指しています。

つまり、カウンセラーの内面性が深まった結果としてこのような態度が自然と現れるのであって、いくら外面だけカウンセラーを取り繕っても、それは本当の受容・共感ではありません。

具体的には、「オウム返しをする」「相づちを打つ」など、本当は1ミリも共感もしていないのにも関わらず、自分と思いと一貫しない態度をとってしまうことがあるようです。まず、その時点で、自分自身のあり方と態度が一致しておらず、自己不一致の状態にあります。

ロールプレイではよくても、実際の来談者さんは、このようなカウンセラーの「ウソの状態」をとても敏感に察知します。なぜなら、そうした上辺だけのコミュニケーションにこれまで深く傷ついてきて、カウンセリングに訪れたからです。

そういった意味でも、カウンセラーだけは、このような裏表の態度は取らず、本心から思いやりと信頼に溢れる姿でいたいものです。

誤解2.カウンセリングとは、相手を分析することだ

カウンセラーの仕事を「相手の心理を分析して、基準にそって分類し、その分類にそった処方箋を出す」というようにとらえている場合、その時点で「相手をまるごと受け容れる」という営みは難しくなります。

なぜならカテゴライズすることで、相手を分かった気になり、その時点で満足してしまうためです。

例えば、カウンセラーを長くやっているほど、来談者さんの言葉端を聞くだけで、「この人はこういうタイプで、こういう傾向がある」と瞬間的に判断してしまうことがあります。

その後は、誘導質問のように、「あなたはこうではないですか?」と自分の推測が正しいかを確かめる手順になっていきます。

その時点で、実は、相手の存在そのものへの関心は途絶えてしまい、相手はただの「患者」「診察対象」となってしまうのです。また、自ずと人間同士の自然な関わりも失われるので、そこにはもはや受容も共感もありません。

少し考えてみると、65億人の人がいて、それぞれが違った環境で、違った世界観の中を生きているのに、それをもれなく分類し、それぞれに精神的な処方箋を出すというのが本当に可能なのでしょうか。

肉体であれば、血液型のようなA型、B型といった分類はできるかもしれませんが、人間の実存はもっと奥深く、数時間のセッションで理解できるほど簡単ではないはずです。

そうであるなら、初めから生き方に正解がないのを前提としつつ、互いに対話してできるだけ深く理解し合おうとする営みの方が、はるかに自然な「受容・共感」の姿のように思えます。

なお、相手を分類して処方箋を出す方法は「指示的アプローチ」と呼ばれる場合がありますが、カールロジャースは反対の、相手を分類せず、相互理解と相手のポテンシャルを信頼する「非指示的アプローチ」を唱えています。

補足:非指示的アプローチとは

非指示的アプローチとは「相手の凍える実存に寄り添い理解し合い、ポテンシャルを信じて温かく見守る」ものです。

カールロジャースは、当時の主流であった指示的アプローチ(カテゴライズと処方箋の指示)に疑問を持ち、真っ向から立ち向かう「非指示的アプローチ」を打ち立てました。

一見放任的にも捉えられるアプローチですが、その根底には、人間の生命の主体性とポテンシャルへの信頼があります。

例えば、骨折をしたとしても、処置を施してしばらく放っておけば、元通りになります。ですが、「骨が自然に戻るわけがない」とグネグネいじっていては、いつまでも治ることがなく、かえって変な方向に歪んでしまうでしょう。

カウンセリングの場で、様々な知識や資格を身につけてきた経緯から、相手に様々な手法を試したがる人がいます。ですが、それが原因で余計に傷ついたり、かえって思い込みが強化されてしまうこともあるようです。

そのようなことをしなくても、相手に真に寄り添って理解し合い、あとは相手の生命の主体性に任せれば自然と回復していく、ということもあるのです。

誤解3.カウンセラーは知識や資格を身につけるべき

カウンセリングを行う上では、様々な知識や資格証が必要と考える人がいますが、カールロジャースは、それらよりも「その人自身のあり方」の方がはるかに重要としました。(ロジャースは人のあり方そのものを「プレゼンス」と表現しました)

むしろ、知識を身につけることで、考え方が凝り固まってしまい、相手に受け容れるということすら忘れて、結論や考え方を押し付けてしまう原因になります。そうでなくても、ある正解に相手を誘導しようという不自然な関わり方になる場合もあるでしょう。

資格証についても、「私はカウンセラーである」という権威性を仮面のように被ることによって、「専門家である自分の考え方が正しい」と有無をいわせず、かえって目の前の人と一人の人間として関わることができなくなってしまうという側面もあります。

また、そもそも知識や資格証を身につけようとする動機には、「自己防衛」が含まれている場合がよくあります。つまりは、この身ひとつ、丸裸の心で来談者さんに向き合うことを内心恐れているのかもしれません。

極端に例えれば、来談者さんは、勇気を持って自分の弱い部分について話しているのに、一方のカウンセラーはと言うと、知識や権威で武装して自分を守りつつ、自分の正しい考えを押し付ける機会を今か今かとうかがっている、という状況になります。

こうなると、カールロジャースの言うような、人と人との自然な出会いからは大きく遠のいてしまいます。

そうではなく、まず自分自身が丸裸となって心の乱取りの経験値を積むことで、自ずと来談者さんが信頼を寄せてくれるようになり、結果としてカウンセラーとしても大成していくのではないでしょうか。

カールロジャースが伝えたかった「受容・共感・自己一致」とは

 

さて、ここまでカウンセラーが誤解しがちなポイントをあげてきましたが、それでは一体どのようにそれぞれの概念を捉えればよいのでしょうか。

私は、カウンセラーとしての経験の集大成として、それぞれ以下のように捉えています。

受容とは

自分に対しても相手に対しても、あるがままの等身大を受け容れ、心でジャッジ(分析)しないこと

良いところも悪いと思うところも、それは自分や相手という人間を構成する一部であり、それを含めてその人です。

そこで悪い点ばかりジメジメと分析してしまう心のクセを超えて、お互いの存在そのものを丸ごと赦し、愛しく感じます。

そのために、まず自分自身が嘘偽りのない等身大の姿となり、相手を安心させてあげる必要があります。

共感とは

その人の実存を愛を持って見つめ、ただ純粋に感じること

対話において、正解やゴールを目指すことを止めると、自然と相手への尽きせぬ興味と関心が湧いてきます。その思いにしたがって、愛と尊敬を持って、焦らずに話を聞いていきます。

その過程で、自然と相づちや、相手の言うことを繰り返すなどの、カウンセラーにふさわしい態度が表出します。

相談者は、これまで誰にも触れられなかった思いに純粋な関心を持ってくれることの喜び、愛を感じます。

そして、夢中になって話し出す内に、詰まっていた回路が開き、心にスペースと光が差し込みます。

自己一致とは

自己防衛の仮面をかぶらず、自分自身に気づいていて、真ん中に定まっていること

立場や知識・論理を盾にした見栄を捨てて、それらに埋もれていた本当の自分自身に気づき、向き合います。

本当の自分自身は、様々に揺れる自分の心を、高いところから冷静に見渡している自分です。また、過去や未来ではなく、今という中心に定まっている自分です。

その本当の自分に常に気がついていると、何かのハプニングで心に動揺が起きたとしても、速やかに収束し、真ん中に立ち戻って調和が訪れます。

このような気づきのあるブレないカウンセラーは、何もしなくても相手に信頼され、深い対話が自然に生まれます。

どうすれば受容・共感・自己一致ができるようになる?

ここまでのポイントを踏まえて、カウンセラーに必要な学びは、テクニック磨きや知識の吸収ではなく、「自分自身をピュアにしていく」ことです。

具体的には、まずは自分自身がエンカウンターグループやカウンセリング等を受け、凝り固まっている価値観や、相手を自動的にカテゴライズしてしまう習慣を手放していきます。これは、知識や専門性を身につけることとは全く逆の、「手放していく」と言うアプローチです。

これまで目の前を覆っていた様々な価値観を外し、クリアな視野で自分や相手を存在を捉えることができれば、相手の発言なども軽やかに受け止めることができる柳のようなカウンセラーになることができます。

さらに、自分の価値観やカテゴライズが絶対のものではないと納得すると、今度は相手が何を考えているのか、どんな生き方をしてきたのかなど、尽きせぬ興味関心が自然と湧いて来るようになります。

そうなれば、無条件の積極的関心といわれるような、「ただ相手のことを知りたい」という気持ちで、何も意識せずとも、等身大の相手を受け容れることができるようになるのです。

補足:無条件の積極的関心

「無条件」とは、〜だったら愛するというような条件付きで、自分のエゴを満足させてくれる人だけを好きになるのではなく、目の前の人が誰であっても、信頼し愛し尊敬することです。

その上で、「積極的関心」とは、相手への「純粋な尽きせぬ関心」があることです。誰であっても、深いところに寄り添えば、人一人が違うだけで、宇宙が違うのです。

ちなみに、カールロジャースの述べた「unconditional positive regard」を、多くの人は、「無条件の肯定的配慮」と訳しますが、大須賀克己先生は、これを「無条件の積極的関心」と訳しました。

考えてみれば、そもそも、人の悩み苦しんだ実存に肯定も否定もありません。

また、相手への気遣いをするのではなく、相手への尽きせぬ関心があることで、自ずと積極的に関わろうとする姿勢が生まれるのだと思います。

具体的にどういう方法で体得すればよいか

さて、理想的なカウンセラーになるには、ある意味仏教の覚者のような、自分の内面性を純粋に高めていくことが一番の近道ということになります。

そのためにエンカウンターグループなどの方法もあるのですが、私がお勧めするのは「瞑想」です。

瞑想によって、人としても素晴らしい成長をすることができ、結果として何も意識しなくても、私はカウンセラーらしさのようなものが身につきました。

(結果として、現在は自分がカウンセラーにならなくても幸せ、という状態になったわけですが…笑

興味のある方は、以下に瞑想に関する記事をまとめていますので、ぜひお読みください。

それではここまでお読みいただき、ありがとうございました。

※この記事は、個人的な経験をもとに本質を伝えようとするものです。理論的な根拠の元に、厳密性・信憑性を担保して作成されている訳ではないということ、また価値観も人それぞれであり、全ての人の合意を得られる内容でないことをご了承ください。

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