恋愛に失敗した時こそチャンス。本当の愛を自分の中に育てる方法

恋愛に失敗した時こそチャンス。本当の愛を自分の中に育てる方法

本当の愛とは何か、そのことについては、人類が始まってからというものの、永遠のテーマであると思います。

それだけ、愛というものは古来から多くの人の人生に希望を与えてきた、素晴らしい体験なのでしょう。

ですが、同時に、愛とはまるで蜃気楼のように、掴んでもすぐに消えてなくなってしまうような儚いものに感じる人もいるかもしれません。

あるいは、例えば恋人など、心から信頼していた人に裏切られ、「愛なんて無い!」と怒りを感じたり、「愛がほしい」と一人寂しく感じることも、人生の中ではきっとあるでしょう。

普段、楽しく生活をしている時には愛について深く考えることはありませんが、こうした苦しい出来事をきっかけに、ふと立ち止まって考える機会が生まれます。

きっとそれは、必要があってあなたに起きていることであり、大事な気づきが得られるチャンスなのかもしれません。

この記事では、まず私たちが主に恋愛で体験する愛について紹介していきます。次にそれとは反対の側面から、理想的な本当の愛について考えていきます。

そして、最後に、自分自身を愛で満たしていくのにもっとも有効な方法を、具体的にお伝えしていこうと思います。

恋愛で体験する「苦しい愛」のかたち

日本人にとって、愛というと男女間の恋愛や結婚をイメージすることが多いと思います。

恋愛における愛の喜びは素晴らしいものである一方、片思いであるなら、相手の些細な言動でも激しく一喜一憂して、苦しんでしまうものです。

また、相手を愛するあまり「分かって欲しい」という気持ちが強くなりすぎて、自分の言い分ばかりを主張してしまうことも、時にはあるかもしれません。

私たちが人生で一度は体験するこうした恋愛から愛を捉えると、以下のような姿に感じられるのではないでしょうか。

愛は、一時的な感情の起伏

愛が儚いものであるというときは、主に恋愛感情を指して言っているのだと思います。

確かに、恋をしているときは胸が踊り、この気持ちがずっと続くものだと思うものです。

ですが、付き合いが長くなるほど、また、お互いが歳を取るほど、そうした感情の喜びは当然の事ながら薄れていくことになります。

もしワクワクやドキドキする感情だけが愛だと信じていると、熱が自然と冷めてきた時に、相手への愛がなくなった、または愛されなくなったと勘違いしてしまうかもしれません。

このように、感情そのものを愛だと考えるものなら、それは永遠のものではなく、いつかは冷めたり、飽きてしまったりするものです。

こうした愛は、一時的な感情の起伏から生まれる愛と言えるでしょう。

残念ながら、どんな人であっても、心は常に変化し、時間とともに移り変わっていきます。相手もそうですし、自分自身についても言えることです。

感情に左右されない信頼関係を築いていくためには、まずこのような心の性質を理解した上で、本当の気持ちを冷静に見つめる必要があるかもしれません。

愛は、ギブ・アンド・テイク

相手が自分の思うように行動してくれなかったときに、怒りを感じたり、落胆したことはありませんか?

身近な例でいえば、恋人がデートの予定に遅刻してきた、といったものがあるでしょう。

そうしたときには、よく「常識がない」と相手を責めてしまいがちです。

もちろん、相手が普段から遅刻ばかりしていては、社会的にも信頼をなくしてしまうことがあります。

それを踏まえた上で、相手のことを想って、愛ゆえに怒っているという人もいるかもしれません。

ですが、よくよく自分の心の中を観察してみましょう。

実際は、相手のことを深く思いやる愛からではなく、自分をないがしろにされたという怒りの感情から相手を責めている割合の方が多いのではないでしょうか。

他にも、別の例を挙げてみましょう。

例えばあなたが主婦だとして、仕事から帰ってくる夫のために、一生懸命家事や料理に精を出したとします。

ですが、帰宅した夫からは、そのことに感謝の言葉もなく、むしろ不平不満を言われてしまいました。

そのような時、愛や感謝という見返りをくれなかった相手に対して「私はこんなにもあなたのために頑張っているのに」と強い怒りを覚えたりします。

もちろんそれも仕方がないのですが、相手の立場からすると、「勝手に期待をして裏切られたからといって、怒りをぶつけられても困る」と思うかもしれません。

このように、私たちは無意識に「自分の思い通りになってくれるなら愛する。そうでないなら、愛さない」というギブ・アンド・テイクで相手と接してしまうことがあります。

そして、この思いは関係が近しくなるほど強くなり、相手に完全性を求めては、欠点や気の利かないところにばかり目がいってしまうのです。

こうしたすれ違いが、さらにお互いを理解するきっかけになれば良いのですが、もし「◯◯じゃないと嫌だ」という条件ばかりをつきつけ合っているのなら、注意が必要です。

次第に自分も相手も受け容れることができなくなり、どんどんと窮屈な関係性になってしまうことでしょう。

愛は、手放せない

普通、自分が愛するものは、何であれできるだけ自分の近くに置いておきたいものです。

そして、自分の愛するものほど、手放したくないと強く思うことでしょう。

言われてみれば当たり前のことですが、この当たり前のことが、実は苦しみを生む原因ともなりうるのです。

それは、対象を愛するあまり、それを失うことを恐れたり、実際に失ったときに絶望してしまうことです。

例えば、ずっと好きだった人と、やっとの思いで付き合うことができたとします。

あなたは関係を維持するために、相手に様々な気遣いをします。

時々意見がすれ違うことがあっても、その人に嫌われるくらいなら、自分を押し殺してでも相手を立てようとすることもあるかもしれません。

このように自分なりに相手を一生懸命に大事にしてきたのですが、ある日突然、相手から理由もなく別れを切り出されてしまいます。

もしこんな場面に遭遇したとしたら、誰であっても大きなショックを受けるでしょう。

自分の至らなさを責めたり、逆に相手の身勝手さに怒りを覚えることもあるかもしれません。それは一時的には仕方のないことです。

ですが、そのことをいつまでも引きずって悲嘆に暮れていたり、あるいは、次の出会いが訪れた時に、失うまいと過剰に意識してしまうと、さらに新しい苦しみを生むことになりかねません。

このような物事へのこだわりで、心が振り回されてしまう状態のことを、仏教では「愛」と表現することがあります。

ここで言う愛は、どちらかというと「執着、こだわり」に近い意味を持ちます。

言われてみれば当然のことなのですが、この世の中において、いかに相手や物を自分に留め置こうとしても、それらは必ず変化して、いつかは泡沫のように消えて無くなってしまいます。

それが自然の原理であるのですが、執着心は、その性質を認めることができずに、失っては苦しみ、また新しいものをかき集めることを繰り返してしまうのです。

一見、こうした執着はパッと手放して、晴れ晴れと前に進むことができれば楽なように見えます。

ですが、何かに執着している間というのは、心が活発に動き、自分が生きているような感覚が強くあるため、そう簡単に手放すこともできないのです。

このように、愛に執着が加わりすぎると、いつまでも苦しみから抜け出せない、負のスパイラルを作り出してしまうこともあるのです。

理想的な「本当の愛」のかたち

ここまで、私たちが恋愛で体験するような愛について、いくつか特徴を紹介してきました。

いずれも、喜びだけではなく、苦しみが表裏一体となって付いてくるような印象を受けたのではないでしょうか。

次に、もっと円熟した本当の愛、理想的な愛のかたちとは何かということについて考えてみようと思います。

最初に伝えておきますと、本当の愛ほど、言葉にするのは簡単で、実際に実行したり体験したりすることが難しいものはありません。

ですが、記事の後半でその具体的な方法についても記載していますので、安心して読み進めていってください。

愛は、自分の内側で芽生えて、葛藤の中で成長する

この記事の最初に、感情の起伏としての愛について紹介しました。

相手から愛をもらうことで、一時的には強い喜びが得られるのですが、それはいつかは無くなってしまうような儚い性質のものなのです。

本当の愛は、それとは逆に、自分の内側で育つものであり、様々な葛藤を糧に成長するものです。そして、それは無くなることがありません

恋愛において、心が未熟なうちは、とにかく強い刺激を求めたり、相手に過度な期待をかけては、それが叶わずに幻滅したりしてしまいます。

そうしたことが愛であると考えて、一喜一憂してしまうことが苦しみなのです。

ですが、この苦しい愛の体験を繰り返すうちに、だんだんと「この方向は苦しいな、何かが違うな」と違和感を感じる時が来るでしょう。

そこに気がつくと、冷静な自分を取り戻して、これまでの自分の行動について振り返り始めます。

自分はあの時、感情に任せて、相手の気持ちを無視していなかっただろうか。本当に相手を思いやった行動とは何だろうかと。

そのように反省したあなたは、次に相手と会った時に、これまでとは違った優しい行動を選択することができます。

すると、相手も喜び、「自分も強く当たりすぎた。もう少し親切になろう」と関係が改善するきっかけになるのです。

もしかしたら、これまでとは逆の行動をすることで、一時的に自分がちょっと損したような気分になるかもしれません。

ですが、同時にこれまでの苦しい感覚ではない、優しい何かが内側に芽生えることにも気づくことでしょう。

このように、自分の感情が暴走するのに任せるのではなく、相手が喜び、信頼が深まるような選択をする方が、ずっと軽やかであり、本当の愛に近いのではないでしょうか。

ここでは恋愛を例にあげましたが、恋愛に限らず、本来、様々な人間関係の葛藤は、それを学びとしてさらに自身の愛を深めていくためにあるものです。

苦しみを通して今の未熟な自分を反省する機会をいただき、さらに、好き嫌いの感情を超えた、深い愛と信頼の次元へ導かれているのです。

そして、自分の内側でこのような愛を一度育てることができると、それはもう元には戻りません。

深い愛は、あなたの一生の財産となって、今後のあなたの人間関係を素晴らしいものにしてくれることでしょう。

愛は、全てを受け容れ、温かく見守る

次に、ギブ・アンド・テイクで相手に見返りを期待してしまうような愛は、どのように昇華していけばよいのでしょうか。

それは、親切を差し出す時には見返りを求めないこと。そして、相手が思い通りに動いてくれなくても、一旦は受け容れて、温かく見守る姿勢を持つことです。

恋愛関係において、人はどうにも率直に欲が出てしまい、「◯◯であってほしい」と要求をしてしまいがちです。

その前提には、「(私はこれだけ頑張っているのだから)相手は自分の思い通りに動いてくれるだろう」という打算的な思いが多少なりとも存在するのです。

ですが、そもそも目の前の相手は、自分とは全く違う人間だということを、今一度思い出さなければなりません。

その人は、自分とは違うキャラクターを持って生まれ、違う環境で育ってきました。自分の好みになるように生まれてきたわけではないのです。

また、誰しもが不完全性や偏りを持ちながら一生懸命生きており、初めから完璧で理想の人というわけにはいきません。

こうした現実を踏まえて、まずは、自分も相手もまるごと受け容れて、見守り合うという姿勢が必要だと思うのです。

自分自身も未だ完璧でなく、たくさんのクセや至らぬ点があることを認めます。

また、相手に見返りを期待して怒ってしまう自分も自分であり、そんな自分も愛おしい存在として受け容れます。

そして、相手についても同じように、欠点も含めてその人であると認め、一旦は受け容れていきます。

相手の偏って見えることも、その人なりにバランスを取って必死に生きている姿です。

それは、心の成長と共に時に自然と手放していくもので、強制的に直そうとしません。

中には相手を変えよう、教育しようと頑張る人もいるかもしれませんが、過去の経験を振り返ってみましょう。

相手を無理やり変えようとするほど、相手のエゴを刺激してしまい、さらに協力を引き出すことが難しくなってしまったのではないでしょうか。

深い理解がない状態で、欠点を厳しく指摘するだけでは、自分から積極的に変わる気が起きないのは当然のことなのです。

そういった意味でも、まずは一旦話を聞いて、理解し、受け容れることから始めると、話し合いもスムーズになるかもしれません。

このように、少し長い目で、自分と相手の成長を願い、温かく見守ることができれば、お互いがもっとのびのびと愛し合うことができるのではないでしょうか。

愛は、太陽のように自由で、ただ輝いている

人は愛すれば愛するほど失うことが怖くなり、苦しくなるという性質について紹介しました。

ここでの愛は、それを自分の手元にとどめておきたいという執着の意味合いを持っています。

それでは、苦しみのない自由の愛を得るためには、どうすればよいのでしょうか。

これについて、筋が通った説明をするのはとても難しいものです。ここからは、少し感覚的にお伝えしていこうと思います。

まず、早速ですが、この世界そのものが全て愛であるということ、そして自分自身も元々は愛に満ちている存在であるということを感じます。

具体的には、太陽をイメージしてみてください。

太陽は特定のものだけではなく、地球の全てのものを満遍なく照らします。

そして、私たちに無限の恵みを与えてくれる一方で、見返りを求めることも一切ありません。

何にも執われず、依存せず、ただ自ら輝いて、光を降り注いでいます。

このように、太陽は、ただ全てを愛し、与え続けてくれています。

実は、誰であっても、必ずこの太陽のような無限の愛と智慧とパワーを内側に秘めています。

今は何かにこだわって苦しんでいるかもしれませんが、そこから進化して、あなたは太陽のようにただ輝く存在になることができるのです。

元々、私たちの内側には、太陽のような純粋な愛のエネルギーがあるのですが、様々な執着やトラウマを抱えて、濁らせてしまいました。

そこから人を疑う回路が発達してしまい、自分の内側から無限の愛を汲み出す力がなくなってしまったのです。

そして、自分で愛を生むことができなくなると、さらに他の人から奪うことを覚えていきます。

しかし、心に穴のあいた状態では、どんなにかき集めても一向に満たされることはありません。

そうではなく、まず、あなたの本質である内側の愛を目覚めさせ、満たしていくことがもっとも大切なことです。

そうすることができれば、自然に周囲の人にも愛の波動が伝わって、頑張らなくてもあなたは愛されるようになるのです。

そして、すでにあなたは、この世界や、それを超えた偉大な存在に愛されているということを、少しずつ知っていきましょう。

過去に大切なものを失ったり、大きな失敗することで世界を呪っていたこともあったかもしれません。

ですが、今思い返すとその経験があって、もっと成長したあなたがいます。

全ての現象はあなたが成長するための学びであり、全ては宇宙の愛によって、必然的に起きている現象なのです。

このようなプロセスで、あなたは自分自身が愛で満たされていることを知り、さらに、執着のない愛を周囲に差し出すことのできる太陽の人に変容していくことができるのです。

本当の愛を育てていくには、どうすればよいの?

ここまで、私たちが恋愛において体験する苦しい愛と、反対の理想的な本当の愛について、対照させながらお伝えしてきました。

きっと、本当の愛と出会えたらいいな、と思いつつも、同時に「分かってはいるけど、できないから苦しい」「具体的にどうすればいいの?」と思われたかもしれません。

実際のところ、本当の愛を自然に体現している人というのは、本当に少ないと思います。

仮に、愛のある人になりたいと思って努力しても、そう簡単にそのような自分になることができないのです。

なぜかというと、どんなに良い行動をとろうとしても、既に身についてしまった心のクセが邪魔をして、素直に実践することができないからです。

そんな現状を踏まえて、私が皆さんにオススメする唯一の具体的な方法は、

瞑想です。

それはただの瞑想ではなく、日本ではヨグマタ相川圭子さんという方だけが指導することのできる、特別な瞑想です。

本当の自分、愛そのものに出会っていく方法

急に瞑想と言われて、驚いたり、胡散臭い気分になられた方もいるかもしれません。

ですが、これは私が数十年探し求めてようやく辿り着いた、本当の愛を自分の中に育てることのできる尊い道なのです。

瞑想と聞くと、悟りを目指すの?というイメージがあるかもしれませんが、それはあながち間違っていません。

ですが、ヨグマタ相川圭子さんの瞑想は、それだけではなく、自分の内側を積極的に愛で満たし、頑張らなくてもあなたが理想とする性格に変容することができるのです。

そもそもヨグマタ相川圭子さんって?

ヨグマタ相川圭子さんは、2018年の5月8日に、テレビ番組「マツコの知らない世界」でも取り上げられ、見たことのある人もいらっしゃるかもしれません。

相川圭子さんは、インドのヒマラヤで厳しい瞑想の修行を積み、究極の悟りであるサマディに到達した方です。これは、日本人、女性としても初めての偉業であるといわれています。

その功績は世界的なもので、インドのモディ首相と個人的に対談したり、ヨガ、瞑想についての第一人者として、国連でスピーチを行いました。

ヨグマタ相川圭子さんは、すでに70歳を超えていますが、休むことなく本を出版したりして、瞑想の素晴らしさを広げる活動に取り組んでいます。

ヨグマタ相川圭子さんが指導する瞑想自体も素晴らしいのですが、何より、相川圭子さんに直接会うと、これが本当の愛の人なのだと、強い確信を持てるのです。

私自身の体験では、ヨグマタ相川圭子さんと対面して目を見つめられただけで、訳も分からず涙があふれてきたことがあります。こんなことは、これまで生きてきて初めてでした。

本当の愛は、理屈や感情ではなく、内側から溢れ出してくるものだということを体験させてくれたのです。

きっと、相川圭子さんのように、存在そのものが愛である人は、何もしなくても周囲の人に心からの安らぎをもたらすのだと思います。

ヨグマタ相川圭子さんの瞑想について

そんな相川圭子さんからいただく瞑想は、決して一時的な気休めではなく、自分自身が丸ごと生まれ変わるものです。

どういうことかというと、まず瞑想をいただく際には、相川圭子さんがその人の悪いエネルギーをごっそりと根こそぎ吸い出し、その上で、一生ものの神聖なエネルギーを直接入れて下さるのです。

目に見えない世界なので分かりにくいかもしれませんが、人の悪いエネルギーを吸い出して、逆に自分のエネルギーを分け与える行為は、普通に考えれば命がけです。

それでも相川圭子さんは、本当に偉大な不動の愛をもってして、命を削りながら私たちに瞑想を授けて下さるのです。

そして、相川圭子さんは、このように素晴らしい瞑想を授けて下さるのみでなく、さらに「生涯かけて、あなたをお守りします」と、人生を通じた守護まで約束して下さいます。

それが口だけのものではなく、本当のことであると、魂で理解したからこそ、私が目を見つめられた時、自然と涙が溢れてきたのかもしれません。

ヨグマタ相川圭子さんほど、本当の愛、無限の愛をご自身で体現されている方は見たことがありません。

それこそ太陽のように、永遠に尽きることがない存在と一体になっているのだと思います。

日本人として生まれた、あなただけのチャンス。

このような素晴らしい方が日本にいて、瞑想を通じて無限の愛が内側に育つタネを私たちに与えてくださっています。

インドでは、顔を見るだけでも一生の幸福をいただけると信じられているヨグマタ相川圭子さんですが、そんな方から直接瞑想をいただけるのは、本当に稀有なことです。

今、私も瞑想をコツコツと行い、自分の中にある愛が少しずつ花開いていくのを感じながら、感謝の気持ちで日々楽しく生きることができています。

この記事をここまでご覧になったあなたは、きっと、これまで愛が分からず、とても苦しい思いをしてきたかもしれません。

そうした苦しみを解放し、本当の自分、純粋な愛に出会うきっかけとして、ぜひヨグマタ相川圭子さんについて知っていただきたいと思い、この記事を書きました。

このブログでは、ヨグマタ相川圭子さんの瞑想に関する記事もまとめていますので、ご興味のある方は以下からぜひ続けてご覧になってください。

そして、できることならば、ヨグマタ相川圭子さんの講演会などに参加してみてください。

実際に会ってエネルギーを体感すると、この人は紛れもなく本物の愛の人だ、と確信が深まることと思います。

あなたが無限の愛、本当の自分につながって、最高の幸福を得られることを、心よりお祈りしています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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