さて、前回の「人間の『心』と『意識』の関係を、例え話でスッキリ理解する」という記事では、「心」と「意識」の違いについてお伝えしてきました。
今回は、さらにその意識の中でも、純粋意識、宗教的にはしばしば「魂」と呼ばれるものについての性質を、できるだけ身近な体験からお伝えしていこうと思います。
「魂」の性質とは
「純粋意識」の性質とは、人の「心」を超然と管理する、上位の意識だと説明しました。
つまり、過去へ未来へと常に動き回り、時に欲望に振り回されてしまう心を「純粋に、ただ見ている」意識であり、その働きによって、過剰な心身の状態に気づきが生まれ、バランスを取り戻すことができるのです。
さて、この純粋意識ですが、宗教的にはしばしば「魂」と同義に扱われることがあります。
魂という言葉を聞いた時には、一般的に以下のような性質をイメージするのではないでしょうか。
- 目に見えないエネルギー体
- 神的な存在と関連が深いもの
- 死んだ後もなくなることがない
このように表現すると、途端に胡散臭く感じる人がいるかもしれませんが、これは実は根拠のない話ではないのです。
その理由について、それぞれできるだけ身近な例でお話ししていきたいと思います。
魂は、見えない心を支える精妙な調和のエネルギー
私たちが日々付き合っている「体」については、それをメンテナンスする方法は分かりやすいと思います。
例えば、温泉に入って疲れを癒したり、体に良いものを食べたりして栄養を補給することで、ある程度回復することができるでしょう。
ですが、一方で、目に見えない「心」についてはどのようにメンテナンスをすれば良いでしょうか。
眠りの中で、心身の自然性が取り戻される
人によっては、映画を観たり、バカンスをしたりすることで気分転換を図りますが、やはり一番は「眠っているとき」に、心が癒される感じを強く実感すると思います。
例えば、あなたが期限が迫った重要な企画のアイデアが出ずに、常にグルグルと頭の中で思考しているとします。
そんな状態で温泉に入ったり、映画を観たりしても、結局心はフル稼働しており、いつまでも休むことができないでしょう。
ですが、その心も、夜が深まって眠気が起きると、働きが徐々に弱くなっていき、いざ眠りに入った時にはスイッチが完全に切られます。
眠っている間は意識がなくなって、一見死んでいるかのような状態です。
しかし、心臓は適切なリズムで動き続ける一方、肺は自然な呼吸を取り戻し、脳の血管も弛緩されて、緩やかに心身のバランスが取られていきます。
そして、翌日の朝に目が醒めると、昨日の夜とは比較にならないほど、心身が深くリラックスしています。
同時に、昨日ずっと答えが出なかったことについて不思議と整理され、パッと自然に良いアイデアが思いついた、ということがあります。
このように、私たちは眠りによって、体だけではなく、混乱した心も鎮められて、深くエネルギーが充電されるわけです。
人本来の自然な働きが取り戻されることから、これを「自然性」ともいいます。
見えないところで命を支える魂
さて、私たちが眠っている間、見えないところで心身に調和をもたらしてくれる根本の原因とは、一体何なのでしょうか。
一体何が私たちの存在を深いところで支えてくれているのでしょうか。
少なくとも、この大変高度で複雑な体や心のバランスをとって真に癒すのには、それよりも上位のエネルギーが働く必要があります。
特に、目に見えない心に浸透して深く癒すためには、さらに精妙で捉えがたい性質を持つ必要があるのではないでしょうか。それはもはや形を持たず、まさしくエネルギー体でなければなりません。
そして、このエネルギー体を魂と呼ぶのであれば、それは心身に調和をもたらし、また、機械にとっての電力のように、人間の生命活動の根本を支える活力源であるといえます。
魂が、全く目にすることができない未知のものというイメージは、このような性質からきているのではないでしょうか。
魂は、純粋で神的な愛に向かっている
次に、魂が「神的な存在と関連が深い」という性質についても、その根拠を述べていきたいと思います。
例えばキリスト教の教えである、「隣人愛」は誰しもが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
隣人愛は、心の好き嫌いや、打算的なギブアンドテイクを超えた神的な愛として、しばしば美しく語られることがあります。
さて、この愛と魂について深く考えさせられる、ビクトール・フランクルの「夜と霧」という本があるので、少しその内容についてご紹介します。
「夜と霧」から見る、心を超えた愛
この本は、第二次世界大戦時のドイツの、アウシュビッツ収容所での人々の生き方を描いたものです。
このアウシュビッツ収容所では、罪のない囚人達が十分な食事も与えられずに、常に過酷な飢餓状態に陥っていたそうです。
そんないつ飢えで死ぬかわからない状況では、「食料」はそれこそ命そのもので、何を犠牲にしてでも得なくてはいけないものでしょう。
その極限状態の中で、死にかけて衰弱した仲間のパンを奪い取る人もいたそうです。それは生き残るためには仕方のないことだったのかもしれません。
ですが、その一方で、自分自身も飢餓で弱り切っているのにもかかわらず、なんと弱った仲間に自分のパンを渡し、励まし続けた人がいたというのです。
もし、自分の心や体の生存本能に従うのであれば、意地でもパンを守り抜くことでしょう。それを独占して、一人で食べるのもまた正解なのです。
ですが、その非常に強い心の要請を超えて、自分が生き残ることよりも、仲間に希望を取り戻してもらいたいという純粋な愛を選び取ることも、人間には可能だったのです。
フランクルは、この体験に感動し、人間はどんな過酷な状況においても、いかに生きるかという自由を奪いえないということ、そして、愛ある行動こそが人に生きる希望、生きがいを与えるのだと確信したそうです。
魂は宇宙的な愛に開かれている
この話は、人間がただ生き残るために存在するという小さな次元の発想を超えた、より神聖なものに感じませんか。
様々な自分の欲望や心を超えたところにある意識、これを魂と呼ぶのであれば、そこには宇宙的な愛が内在している可能性を教えてくれる例であると思います。
そして、このような純粋な愛の実践によって得られる幸福感・満足感は、一時的な体や心の喜びとは違い、もっと根本的な深い生きがい感をもたらしてくれるのでしょう。
このような意味で、魂は、ある意味神のような純粋な愛の性質を内側に内包しているといえるのではないでしょうか。
魂は、死んだ後もなくなることがない
さて、最後にもっとも納得しがたい魂の性質は、それが不死であり、死んだ後も存在し続けるかもしれない、ということです。
これは、本来自分自身で死をもって体験をしていなければ、説明をすることはできません。
ですが、「死んだ後も魂が存在する」ことは説明できなくても、「生まれる前に魂が存在していた」ということは、言葉でもって、可能性を説明することができます。
ユニークな「個性」の原因は?
例えばですが、人は生まれながらにして、先天的に誰とも違う独自の個性というもの持っています。
人間の肉体や体質、そこから派生する気質などは、DNAなどで親から遺伝することもありますが、だからといって全くキャラクターであるということはありません。
例えば、双子として同じ親の元に生まれ、同じ環境に育ったのにもかかわらず、双子同士・親とも全く違う個性が育つこともあります。
もちろん周囲の環境から様々な影響を受けるにせよ、誰もが少なからずユニークな趣向や主体性を内に秘めて生まれてきているのです。
それでは、そのユニークさは一体何が原因なのでしょうか。
肉体は親から引き継いだとしても、その体自身では、自分より高次の心や意識を作り出すことはできないはずです。
そうであるならば、一つの可能性として、ユニークな個性を秘めた種子は、親や自分の体以外のどこかから引き継いでいるかもしれないのです。
「個性≒記憶」の管理者こそが魂
さて、先ほどから例に挙げている個性とは、つまりは様々な体験によって定着した記憶の集合のようなものであるともいえます。だから一つ一つがユニークなのです。
次に、個性が先天的に存在するというのであれば、これらのユニークな記憶も人が生まれる前に、どこかに存在していなければなりません。
そして、人の記憶を、果てしなく膨大な情報の一種という風に捉えると、それらを常に維持・管理する所有者がなければ、それは雲散霧消してしまいます。
その記憶の所有者の役割は、まさに心の上位管理者であるエネルギー体、つまり魂こそがふさわしいといえるのではないでしょうか。
魂の存在と輪廻転生
すると、魂は、体から分離されている状態でも記憶を携えてどこかに存在しており、赤ちゃんの体に入るのを待っている、という構図が浮かんできます。
そして、魂が赤ちゃんの体に入ると、その体の影響や両親の教育、環境の影響を様々に受けながら、さらに個性を開花させ、ユニークな人間に成長していくのではないでしょうか。
このように生きている間にまた様々な記憶を積み、また死んだ後も、魂はこの記憶を持ってどこかに残存しているのです。
なぜなら、人が生まれる前に魂が存在していたのであれば、その原因として、様々な記憶を人生の中で蓄積した魂が存在していなければならないからです。
こうして、魂は記憶を携えながら様々な肉体を経由する旅を続けているわけですが、これを宗教的に「輪廻転生」と呼ぶことがあります。
にわかには信じられないとは思いますが、魂は不死であり、何度も生まれ変わりを経験しているという可能性を挙げました。
魂の存在を実感する性質のまとめ
さて、ここまで人の魂とはという性質についてお伝えしてきました。改めてまとめると、以下のようになります。
- 魂は、肉体や心を養い統御する、微細で精妙な調和のエネルギー
- 魂は、肉体と心とは違い、純粋な愛を実践できる。それによって、魂は深い幸福感を覚える
- 魂は、肉体とともに滅びることがなく、不死である
純粋意識、魂については、科学的な研究の及ばないところではありますが、様々な宗教家やスピリチュアルな感性を持つ人々によって、その存在が伝わっています。
実際のところ、魂とは、その存在を自分自身で体験することが、何よりもスムーズで、説得力のある証明になるのです。
なぜなら、目に捉えることができず、思考でも捉えることができない以上、それは完全に個人の体験に属する性質だからです。
大変掴み難いものであるのですが、もしこの魂の働きを強めることができれば、悟り、天国とも呼ばれる状態に到達する可能性もあります。
それこそ、純粋な愛の行為など、魂自身が原因となって、魂自身が感じる喜びは、自分自身の性質が不滅である以上、永遠に滅びることがないからです。
今からでも、魂本来の性質に従って、魂を喜ばせる生き方をすることができれば、死んだ後であっても永遠に幸福な存在になるということも夢ではないのです。
さて、次の最後の記事では、どのように魂の性質に従って生きれば良いのかということについて、具体的にお伝えしていこうと思います。
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