出家とは、文字通り家を出て、家族や友人、会社等の社会のあらゆる縁を切り、神仏の道に専念することです。
少し前には、女優の清水富美加さんの出家が話題になりましたが、ある宗教に一生身を捧げて働く場合にも、出家という言い方をするようです。
この出家について、宗教が敬遠されがちな日本では、どこか時代錯誤的で、極端な印象を受けることも少なくありません。
しかしその一方で、社会に疲れたサラリーマンや、まだ未来のある若者の中にも「出家をしたい」と願う人がいるようです。
今回の記事では、自分が出家をしたいという人、または身近に出家をしたい人が現れた時に役立つよう、実際に出家をした友人の話に基づいて、その正しい心構えやリアルをお伝えしようと思います。
出家をしたい人が問いかけた方がいいこと
普通の人が「出家」という決断に至るまでは、ポジティブな動機とネガティブな動機があります。
しかし仮に、身近に「出家をしたい」という人が現れた時、多くの人が反射的にストップをかけるのは、「何か嫌なことがあったからでは」と感じるからだと思います。
実際に、多くの人が何かから逃げる手段として出家を思い立つのはあり得ることです。
まずは、あなたの出家への思いが果たして本物であるかどうか、以下でチェックしてみましょう。
1.人間関係の問題は抱えていないか
現在、家庭や職場などの人間関係でトラブルを抱えている人は、今の状況を抜け出すための手段として、出家を考えることがあります。
ですが、そのような動機で出家したとしても、出家先でまた同じような課題に出会ってしまい、苦しんでしまうケースもあります。
出家をしたからといって、常に一人で修行に打ち込むわけではなく、宗教団体の運営のため、コミュニケーションは必ず必要になります。
また、そうした人を受け入れる所では、自分と同様、何かしらの問題を抱えている人が集まるので、自分が最も嫌うタイプの人もいたりして、新たな問題が起こらないとも限りません。
どちらかというと、出家とはそうした内面の課題から逃げうる退路を自ら断ち、嫌でも自分のエゴを見つめ、それを愛や信仰で超えようとする意味合いがあるのです。
もしその厳しい環境に身を置くことで、自分自身の内面の未熟さを克服したいと願っているとしたら、それは尊敬すべき動機であるかもしれません。
2.働きたくないと思っていないか
現代の宗教では、ただ一日中で瞑想をして悟りを目指すような団体は稀です。
むしろ一日のほとんどは様々な作務(仕事)や布教活動に勤しむことの方が多いと思います。
宗教団体によっては普通の会社のように、電話受けをしたり、パソコンで1日事務作業をするということもあるでしょう。
インドやチベットなどであれば、既に宗教的な文化があるため、出家者には多くの人々が支援を行い、自由な生活もできるようです。
しかし、ここ日本では、宗教を信じる人はまだ少数派です。そのため、積極的に教えを広げ、支援者を集めるための布教活動をしなければ、廃れていってしまいます。
また、自分だけのために修行を行うのではなく、多くの人が幸せになるように導くというのも、功徳を積み、悟りなどの良い体験を得る上で重要なことです。
もし、自分の信じる教えの素晴らしさを伝道することに喜びを覚える人であれば、出家後の生活に退屈に感じることはないでしょう。
3.心身ともに健康であるか
出家をするにあたっては、修行に耐えうるだけの健康な体と精神を持っている必要があります。
宗教にもよりますが、それなりの良い体験を得るまでの過程は厳しいものであり、身体的・精神的な忍耐も時に必要になります。
そのため、現在何か不調を抱えている人の場合は、それを出家によって解決しようとはせず、その他の手段を検討してからでも遅くありません。
病院に通ったり、神様・仏様へ日々お祈りをしたり、何かのコミュニティに参加するなど、健康を取り戻す方法というのは、出家以外にも沢山あります。
まずは自分がきちんと自立した上で、さらに高みを目指したいという場合に、はじめて出家という選択肢が出てくるものではないでしょうか。
4.心の楽しみを手放すことに喜びを感じるか
現代の日本の宗教では、お坊さんでも妻帯していたり、お茶を飲んたりなど、大らかな生活をしているところもあります。
ですが、それでも飲酒や肉食の戒めを守ったりなど、できるだけ質素で心静かな生活をしていくことになります。
そのように行動を正しく制限することによって、これまで外に向いていた意識が内側に向けられ、自分自身を見つめる準備ができるからです。
これまでは様々な不安、ストレスを娯楽・嗜好品でごまかすことができたかもしれません。
しかし、出家した後は、そうした心の楽しみを手放して「何もない」ということに慣れていく必要があります。
そうした自分の心を静めていくプロセスを喜びと思えるかどうかが、出家者としての基本的な素質であると思います。
出家の覚悟は本物でしたか?
いかがでしたでしょうか。
本格的な出家をするにあたっては、上記のような点をあらかじめ覚悟しておく必要があります。
もし一つでも当てはまる点があったら、一旦はしばらく時間を置き、ゆっくり自分を見つめてみたり、誰かに相談してみることをおすすめします。
一方で、これらを自分自身に問いかけ、揺さぶりをかけたとしても、なお出家を志すようであれば、その覚悟は本物であるのかもしれません。
本当に出家の覚悟のある人はどんな人?
さて、ここまでの話で、逆に「出家の覚悟のある人は一体どんな人?」と気になったかもしれません。
普通そんな話を聞く機会はありませんが、偶然私の友人に出家の道へ進む人がいたため、直前にどういったことを考えているのかを聞くことができました。
その話から、「出家の覚悟がある人の特徴」をまとめてみようと思います。
宗教に対して価値観が開かれている
強い出家の意志を持つ人は、前提として何らかの宗教的・スピリチュアルな世界観を持っています。
日本人の多くは、宗教に出会ったとき、それを一つの考え方として理解はしても、自分ごととして捉える人は少ない印象です。
しかし、そんな宗教とは無縁だった人も、人生における挫折をきっかけに、宗教の道に目覚めることがあるようです。
私の友人の場合も、大きな挫折を経験し、そこから宗教に強い関心を持つようになったそうです。
大きな挫折があった時はとても苦しかったが、その時によい意味で自分の価値観が破壊され、宗教を受け入れられるようになった。
面白いことに、挫折を味わう前まではただの綺麗事にしか思えなかった経典の一節が、苦しみを体験した後になって、とても深く染み入る言葉に思えるようになっていた。
よく、苦しい時の神頼み、といいますが、果たして、宗教とは苦しみをきっかけとして開かれる道でもあるようです。
もし人生における深い悩みや苦しみを経験していなければ、そもそもそこから解放されたいという強い動機が生まれず、宗教に関心を持つこともなかったでしょう。
宗教の世界の入り口に立つためには、このように何かのきっかけで自分の価値観が外れ、感受性がオープンになるような体験が必要なのかもしれません。
宗教でポジティブな体験をしている
一般的には、宗教と聞いて多くの人がイメージするのは、洗脳、依存、現実逃避などネガティブなものです。
悲しいことに、日本では過去にある宗教団体が重大な事件を起こしてしまったことから、そのようなイメージが染み付いてしまいました。
また、日本では科学的な考え方が支配しており、目に見えないものに対する尊敬や感謝などは残念ながら持っていません。
そのような状況のため、「自分は神様を信じている」などというと、心配されたり、引かれてしまうことの方が多いでしょう。
ですが、何かしらの宗教に入って、さらにそこに身を捧げようと決意するのには、やはりそこに奥深い魅力があるからなのです。
その点に関しては、友人はこう言っていました。
宗教は、人を傷つけたり、苦しめたりするために生まれたものでは、決してないと思う。
むしろ、見えないものへの信頼を深め、自分自身を純粋にしていくことで、苦しみから解放されて、本当の幸せを得ることができる道。
私も現在お世話になっている宗教のおかげで、人生が本当に楽になり、安心して日々を送れるようになった。
本当に良い宗教に出会うことができると、様々な幸運が再現性を持って起き、自分だけではなく、周囲の人まで幸せになる。
そして、このような素晴らしい体験を繰り返し経験すると、宗教を深く信じざるを得なくなる。
その結果として、いつしか宗教が自分の人生そのものを捧げる対象となっていた。
このように、最初はお試し半分でも、宗教を通して様々な成長や幸福を経験することで、その道に自分自身を捧げる度合いも大きくなっていくようです。
これが単なる依存であれば次第に枯れていってしまいますが、本質的な道であれば、続けるほどパワフルで純粋な人になっていきます。
信仰心の強い人は、さらにその道を突き進みたいと思うのかもしれません。
宗教が生き方そのものになっている
出家とは自分の全てを捧げることであり、それだけ神仏への愛や、強い信仰心がなければ進もうとは思わない道だと思います。
実際、宗教が好きという人の大多数は、聖書や経典を読むだけで満足する人なのではないかと思います。
しかし一方で、知識を得るだけでは物足りなくなった人は、実際に教会やお寺に通い、体験的な学びをするようになっていきます。
自分の場合も、徐々に宗教施設に行って研修を受けたり、指導者からの指導を拝受するなど、直接的な学びをしていた。
宗教は、知識だけでは納得できない部分が大きく、実際にその神聖な場所へ赴き、自分で様々な体験をするということが大事に思えた。
そうした生活をさらに何年も積み重ねていくうちに、宗教の道と、自分の私生活における目標とが次第に一致し始めるのを感じた。
正直、私自身も、なぜこんなに宗教の道を追い求めるようになったのかは正直分からない。
ただ、もし本当の真理に出会うことができるなら、全てを犠牲にしてもよいといつしか思うようになっていた。
ここまで宗教に熱心になると、どうしてそんなにのめり込むのか理解できないという人がいると思います。
わざわざ宗教の道に行かなくても、美味しいものを食べたり、旅行に行けば十分気を晴らすことだってできるのです。
ですがそれでも稀に何かの導きで、人としての本質に出会うため、真理に出会うために、全て捨てることを選ぶ人がいるのです。
そういった人の心を、どんな娯楽も趣味も動かすことは叶わず、いずれはただ宗教の道だけが、その人の興味関心の全てになっていくのでしょう。
もし出家をしようと思ったら
ここまで、出家の決意が本当かどうかのチェックリストと、出家を志す人の特徴についてお話してきました。
もしあなたが出家をしたいと思ったら、まず「出家をして何を目指すのか」という点について、改めて考えてみましょう。
少なくとも、何かの逃げの気持ちがあったり、出家先の宗教に関する深い理解がなければ、あとで後悔することになるかもしれません。
そして、自分自身のこれまでを全て捨てて、さらに自分自身のこれからの全てをその道に捧げることについて、迷いがないかどうかを再確認しましょう。
それでもYESであれば、誰もあなたを止めることができる人はいません。宗教の道を突き進みましょう。
もし身近に出家を考える人がいたら
頭ごなしに否定するのではなく、あくまで冷静に本人の気持ちを聞いてあげましょう。また、その宗教について自分なりに学び、理解を深めましょう。
経緯はどうであれ、最終的には本人の意思が一番大事になってきます。
もしその気持ちが一時的なものではなく、依存でもなく、頑固さでもなく、落ち着きをもった強い決意を感じるようであれば、それを受け容れます。
もちろん、様々な事務処理なども具体的に話し合い、あと腐れのない状態で旅立ちができるように調整を進めます。
過程で多くの涙が流れることもありますが、それは決しておかしなことではありません。そのことにも何か深い意味があると考えます。
そうした真理への道、神に出会う道を歩む人が身近に現れたことをむしろ誇りに思い、別れの瞬間には、明るく送り出してもらいたいというのが、本人の最後の願いではないでしょうか。
出家しなくても悟れる方法がある?!
さて、おそらく出家をする人の大半が「悟り」を目的にしていると思いますが、実は出家をしなくても、悟りに大きく近づく方法があることを知っていますか?
これまでの生活や人間関係を持ちながらにして、悟りへ近付けるー
そんなメリットしかない素晴らしい方法が、実はこの日本にあるのです。
私自身もそれに出会い、これまで通りの生活をしながらも、あらゆる悩みから解放され、自分がどんどん清められる喜びを実感してします。
もしこの記事をお読みで出家を検討している人がいたら、ぜひ↓の記事を読んでからにしていただきたいと思います。
きっと運命を変える出会いになることでしょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。