あなたは、自分が気にしていたことを人に指摘されたり、批判された時に、思わずイラっとしてしまったことありますか?
人であれば誰でも、沸点が低くなりがちな「怒りポイント」は大なり小なりあるものです。
社会に全く違う価値観の人と生きているのですから、うっかりそこに触れられてしまうこともありますよね。
そんな時に反射的に湧いてきてしまう「怒り」「イライラ」。
それらはどのように扱えばよいのでしょうか。
一見簡単なようで、なかなか効果的な方法が見当たらないものです。
この記事では、まず、怒りが起きる原因とは一体なんなのか、そして、私たちがついやってしまいがちな対処法について挙げていきます。
その上で、怒りを手放し寛容になれる効果的な方法をご紹介していきます。
「怒り」が起きる原因
そもそも、怒りとはどういった感情で、どのような時に起こるのでしょうか。
怒りとは、喜怒哀楽の一つであり、心の働きです。赤ちゃんでさえも、怒りという感情を泣くことで表すことがあるように、人間にとって原始的なもので、生存のために必要な機能に違いありません。
怒りという感情の必要性を感じるには、「怒るとどういう状況になるか」という具体的なシーンをイメージすると分かりやすいと思います。
いくつか例を見てみましょう。
怒りで相手の関心を引き、自分の欲望を満たしてもらう
よく、子供がオモチャやお菓子を欲しがって、駄々をこねて泣いている、微笑ましい場面を見ることがあります。子供は自分の感情を非常に素直に表現します。
この行動によって、親は「仕方がないな」と、子供が求めているものを買い与えることもあるでしょう。
このような自分の欲望を満たすために怒りを表すことは子供のやることだと思っていますが、実は、大人もこれを巧妙に行なっていることがあります。
先ほどの子供の例でいうと、親の立場では、自分の言う通りに行動してくれない子供に対して、つい「いい加減にしろ!」と怒りをぶつけてしまうことがあります。
親は「子供の将来を思って」とは口にするものの、実際は言う通りにしてくれないと自分が不安になるため、つい思いやりよりも、怒りをもって子供を圧倒してしまうのです。
このように自分の欲望を満たすための怒りというものは、決して悪いものではありません。動物である人間が何とか相手を動かし、生きようとする姿であるとも捉えられます。人の成長にとっても、時に強い怒りが必要なこともあるでしょう。
ですが、相手のことを深く思いやることなしに怒ってばかりいては、むしろ関係がこじれてしまうことにもなりかねないので、注意が必要です。
怒りで相手を威圧し、攻撃から身を守る
怒りが起きるタイミングでもっともイメージしやすいのは、自分のプライドや尊厳が傷つけられた時でしょう。
相手にその気がなくても、自分が攻撃されたと認識した時には、自分を守るために怒りが表現されてしまいます。
そのような態度は口に出さなくても伝わり、「あっ、ちょっと悪いことしたかも」と譲歩や反省の気持ちを多少なりとも相手に生まれさせるものです。
このような自分を守る心の働きを「自己防衛」と呼ぶことがありますが、これも人が動物として生き残るために身につけた習性の一つであるのかもしれません。
ですがこの自己防衛も過剰になりすぎるとかえって相手の怒りにもつながり、大喧嘩に発展することもあります。
やはり、きちんと怒りの性質を理解しつつ、コントロールする術を得ていかなければならないでしょう。
怒りがなくなればいいの?
怒りの原因として2つの例をあげましたが、怒りについてポジティブな印象というより、むしろ厄介なもののように思われたかもしれません。
ここで、怒りそのものがなくなればよいとも考えられますが、それはそれで不自然になります。もし、人間から怒りがなくなったとしたら、ロボットのような違和感を感じるのではないでしょうか。
怒りのみならず、喜怒哀楽の全てが人間を構成する重要な要素であり、それらが一体となって人らしさを形成しているのでしょう。
その点、怒りという感情が人間に備わっていることにも意味があり、その一つとして、「自分が生物として生き残る」という目的があるのかもしれません。
怒りに対する、やってしまいがちな対処法
ここまで怒りが起こる原因について、いくつか例を挙げてきました。
怒りが人間に取って必要な感情であるということは分かりつつも、それを適切にコントロールすることはとても難しい、ということも伝わったと思います。
そこで、怒りが湧いたときに、私たちがついやってしまう対応から、さらに怒りについて理解を深めていこうと思います。
失敗例1:感情的に反論・言い訳する
私たちが怒りに直面した時にもっともやりがちなこととしては、「感情的に反論・言い訳する」というものがあります。
怒りを分かりやすく表現することも必要かもしれませんが、これには当然不都合があります。
それはシンプルな話、相手との衝突が生まれ、関係にヒビが入ってしまうことです。
相手はあなたのためを思って指摘したかもしれないのに、不機嫌になられたら傷つきますし、他人のせいにすることで自分の反省の機会がなくなってしまう可能性もあります。
私自身も、批判されると、つい「でも~」と反射的に言い訳をする癖がありました。
このようにネガティブな反応ばかりしていては、相手も何も言いたくなくなってしまいますね。
失敗例2:我慢してオトナな対応をする
反論や言い訳がダメならどうするかというと、「我慢する」というのがもう一つの対応になります。
あなたが長男・長女であったなら、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから、我慢しなさい」と言われたことがあるかもしれません。
このようにして、子供の頃から、微妙に納得いかないまま、怒りや不満を我慢する習慣がついてしまうこともあります。
ですが、冷静になって考えてみると、我慢したからといって、それは自分の心に蓋をしたに過ぎません。痩せ我慢をして面目を保つをすることはできますが、自分の中にある怒り自体を無くすことはできないのです。
我慢も社会生活において必要ですが、不満を蓄積しすぎると、何かの機会にそれが爆発するということもあります。最近では、この爆発して収集がつかなくなった状態のことを、俗に「キレる」と表現するのかもしれません。
「我慢は毒」とも言うように、爆発する前に、自分の率直な思いを相手に少しずつに伝えていくことも大事なのでしょう。
怒りへの理想的な対処法:もし寛容になって、許せたら…
それでは、誰かがあなたの「怒りポイント」に突入してきた時に、一番理想といえる心の持ち方とはなんでしょうか。
それは、当たり前ですが、寛容でいて、相手も自分自身も許せることです。気にもとめずに、温かくお礼を返すことができたら、お互いハッピーですね。
ですが現実問題、これが口でいうほど簡単なことでないことは、お分かりの通りだと思います。
なぜなら、意識しようがしまいが、怒りは自動的に湧いてきてしまうからです。
そして、怒りが自分の中に沸いた瞬間、「でも~」とこれまた自動的にリアクションが起きてしまうのです。
それでは、人は一体どのようにして「寛容さ」を身に付けることができるのでしょうか。
本当の寛容さとは何なのか~第二の矢~
仏教で、「第二の矢」というお話がありますが、そこから寛容さについて学ぶべきポイントがあります。
例えば、誰であっても「嫌なこと」があったときに、「ウッ!」となります。具体的には、怒りや悲しみなどの感情が、自分の中に瞬間的に湧き出てきます。これが第一の矢です。
次に、第一の矢によって生まれた感情にとらわれて、翻弄されることがあります。例えば、いつまでも脳内で相手を恨んだり、感情のまま爆発させてしまうような状態です。これが第二の矢です。
凡夫は第一の矢だけではなく、第二の矢も受けて苦しみますが、修行をしている仏弟子は、第一の矢は受けても、この第二の矢は受けないといいます。
つまりは、最初ショックは受けつつも、それをすぐにスーッと流してしまうのですね。これは感覚的にとても自然で、スマートな「寛容」の形といえるのではないでしょうか。
このように、一瞬ショックを受けても、それを引きずってジメジメと陰湿に考えてしまわないよう、心をフラットな状態に保つことが重要になってくるのです。
いざ実践!怒りをスーッと手放す、効果的な方法
さて、いよいよ怒りを手放して寛容になる、具体的な方法をご紹介していきます。
改めてポイントについてまとめると、「怒りが自分の中に起きたとしても、それにとらわれずに、スーッと無に還すこと」です。
怒りが湧いてきても、できるだけ温かい光の差す方向に、ふわっと霧散させていくのです。
私がオススメする方法はとてもシンプルです。
謙虚にスッと感謝して、相手の幸せをお祈りする
具体的には、例えば相手に批判をされてムッときた時には、
「ああ、私にも何かきっと至らぬ点があったのですね。このような学びの機会をいただきありがとうございます。あなたの幸せを心からお祈りします」
と、できるだけ気持ちを込めて、心の中でいいます。
「そんな風には思えない」というあなたも、騙されたと思ってやってみてください。
エネルギーを責めや恨みの方向に使わず、あえて反対の肯定的な方向に使うのがミソなのです。
これを実践することで、相手や自分を責めることよりも断然早く、怒りそのものが空中霧散して、気持ちが晴れやかになっていくことでしょう。
もし、相手にうっかり反論してしまった後でも、遅くありません。自分自身の気持ちの整理にも役立ちますし、不思議と場の雰囲気が柔らかくなるはずです。
この対処方法の意味するところ
「なんで嫌なことを言ってきた相手に感謝するのか」「やられたらやり返さないとナメられる」というように思われた方もいるかもしれませんが、少し別の視点に立って、この根拠を考えてみます。
まず、自分が何か嫌だと思うケースの多くは、自分の価値観が傷つけられた時に起こります。
そして、価値観の中には、過去の様々なトラウマの記憶が染み付いて形成された、「歪んだこだわり」のようなものもあります。または、自分を守るために身につけた信念やプライドも、そうした価値観の一つといえます。
さて、私たちはそれらの価値観に縛られて、翻弄されて苦しむために生まれてきたのでしょうか。
直観的に、「それは違う」と感じるはずです。
それでは逆に、この小さい価値観を超えて、もっと大きな世界で自由に遊ぶことができたら、どんな気持ちでしょう。
きっとその方が、進化した、豊かな人の生き方と言えるのではないでしょうか。
自分の様々なとらわれに気づき、順次超えていくことで、どんどんと身軽になり、それがつまりは、充実した生、本当の自己実現、幸せにもつながっていくのです。
ですが、そのようになるためにはまず、自分が今とらわれている価値観自体に気づく必要があります。
そして、それに気付かせてくれる存在が、他者です。
相手が自分の鏡となって、時には痛みとともに、自分自身の姿をありのまま映し出してくれるのです。
相手がいなければ、自分の身勝手な価値観に気づけないので、成長して幸せになることもできません。そういった意味で、自分自身が成長するきっかけを与えてくれた相手には、本来は感謝をすべきなのです。
そしてそのお礼に、相手も自分と同じように、様々な気づきを得て幸せになるようお祈りをします。
このように、積極的に自然の摂理と調和を図ることで、常に心が平和にあり、態度も自ずと穏やかになるのです。
一見、綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、もし、これまで全く逆のことをして苦しんでいるのなら、やってみる価値があると思います。
課題をクリアするまで、嫌な人は何回でも現れる
この世界は、自分自身が本当に成長するまで、同じような試練を何度も与えてきます。
まるで、「超えなさい。これがあなたの課題ですよ」と語りかけてくるかのように、自分自身の課題をクリアしない限り、嫌な人、嫌な場面に繰り返し出会ってしまうのです。
この試練は、逃げても逃げても追ってくるので、結局は自分自身に向き合い、「嫌だ」と思っていたことがなんとも思わなくなる(=超える)まで、努力していかなければならないのでしょう。
こういったところに、私たちが進化へ導かれているような、宇宙的な流れのようなものを感じるのです。
ヒミツだけど、あなたに一番おすすめしたいのは…
…さて、ここまで読んでくださった方に、あなたがさらに楽に生きられるようになるヒミツを、小声でお教えします。
そのキーワードは、「瞑想」です。
ただの瞑想ではなく、私も実践して効果を完全に実感している、ヨグマタ相川圭子さんの瞑想です。
※実は、上記した怒りを手放す方法も、ヨグマタ相川圭子さんから学んだ方法です。
やはり、怒りを何かの習慣で頑張って消そうと思っても、実際は難しいものです。
ですが、相川圭子さんの教える瞑想を実践すると、何も頑張らなくてもあなたの強い怒りが解消され、感謝や愛などのクリエイティブなエネルギーに昇華されていきます。
こればかりは、体験していただくことでしかスゴさを伝えられませんが、私自身が実際にそのように変化することができ、人生が本当に楽になったのです。
これは宣伝ではないですし、純粋にあなたに幸せになって欲しいのでご紹介します。あなたが怒りや感情の葛藤から解放され、幸せになってもらえたら嬉しい、というのが素直な気持ちです。
一時的な幸せではなく、もっと深い幸せを本気で求めている人は、ぜひ一度、このブログの相川圭子さんに関する記事にも目を通してみてください。きっとあなたの世界が変わるきっかけになることと思います。
それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
あなたの幸せを心よりお祈りします。